「軍事大国」ロシアの虚実

田中一弘

著者について

1956年群馬県生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業、一橋大学態学院経済学研究科修士課程修了。朝日新聞モスクワ特派員(199598)を経て、2000年より高知大学人文学部准教授、学術博士。

専攻ロシア経済論

著書岩波新書『ロシアの軍需産業』

   『ロシア経済の真実』(東洋経済新報社)

   『パイプラインの政治経済学』(法政大学出版局)

   『ロシアの「新興財閥」』(東洋書店)

   『現代ロシアの政治・経済分析』(丸善)ほか

本書の目次

はじめに

序章 「強いロシアの虚実」

 1 米国の突出という「現実」 後塵を拝するロシア

 2 NATO拡大や資源外交に潜む米国の傲慢 ロシアなんか怖くない

第1章 難航する軍改革

 1 どう改革しようとし、どこまで改革できたのか 契約兵の増強の裏側

 2 セルジュコフ国防省のもとでの改革の行方 「家具屋」の親父の辣腕

 3 今後の課題 ハイテク化がカギ

第2章 「軍事大国」の軍事費と軍備増強の実態

 1 軍事費増大は本当か インフレというマジック

 2 軍備増強の実態 欠陥品というジレンマ

第3章 積極的な武器輸出と武器外交の行方

 1 どこに武器を輸出してきたか ソ連自体からの「お得意先」と「新規」の顧客

 2 武器輸出独占企業の存在 不透明資金の温床

 3 具体的な武器輸出にかかわる諸問題 熾烈な国際競争のなかで

第4章 急速に再統合化される軍産複合体

 1 軍産複合体とは何か 民営化の失敗と不透明性

 2 統合進む航空機関連企業 スホイやミグはどうなるのか

 3 統合進む造船関連企業 統一造船コーポレーション

 4 軍産複合体の課題 不合理な体質からの脱却とイノベーションは可能か

終章 新しい「軍事大国」めざすロシア

 1 課題と展望 「新冷静時代」という「神話」

参照文献

1.はじめに

本書は現時点で紹介するには、少々微妙な内容となっている。本書の結論を言ってしまえば、ロシアの軍事体制は核兵器保有を除けば、近代化が遅れており、とてもアメリカをはじめとするNATO諸国にたいする脅威ではなく、軍事大国ロシアは神話であり虚妄だと結論づけているからだ。

「いや、そんなことはないだろう。クリミヤ併合ではロシアはハイブリッド戦争で成功したし、現在もNATO諸国の装備支援を受けているウクライナに対して優勢に戦っているではないか。」という反論がすぐさま聞こえてくるようだ。しかし、本書の出版年に注意してほしい。2009年である。実はロシアの軍事体制はその2年前から本格的な現代化に向かっているのだ。そして2008年のジョージア(グルジア)との戦争を契機にハイテク化が急速に進んだのである。この現代化の端緒については本書で触れられているが、その後の展開は当然ながら追えていない。

では、本書を読むのは意味がないのだろうか。筆者はそうは思わない。なぜなら、現代化したとはいえ、今回のウクライナ侵攻ではやはりNATO諸国との軍事力の差は歴然としているからだ。核保有のレベルでは互角だと思われるが、通常兵器では圧倒的にアメリカの後塵を拝していることは歴然としている。(プーチンが核の使用をほのめかすのも、そのような軍事力の差を認識しているからだろう。)だからこそ、多少の軍事支援によってウクライナはロシアと互角に戦えているのである。現時点(20228月末現在)においてロシアが敗北するのではないか、という評論がいくつか出てきているほどだ。なぜロシアはNATOに追いつけないのか、を冷静に判断する材料として本書を読む意味があると筆者は考える。以下で本書の内容を要約して紹介する。なお要約の中で本書からの引用があるが、読みやすさを考慮して特に「 」で示すことはしていない。

2.本書の要約

はじめに

グルジアとの戦争(2008年)によって、「軍事大国」ロシアに対する警戒感、関心が高まりつつある。しかし、金融危機は「資源大国」ロシアにも少なからぬ打撃を与えた。そこで本書は「軍事大国」ロシアという神話について本格的に論じることとする。インフレ下における軍事増大の現状分析およびロシアの軍改革の実態について検証する。本書がロシアに対する「漠然とした不安」を解消することにつながることを期待している。

序章 「強いロシア」の虚実

プーチンは「強いロシア」の復活をめざしてきたのは確かだが、米国と肩を並べるのは困難である。核兵器の保有状況では拮抗しているように見えるが、しかし「軍事大国」ロシアは張り子の虎であり、内情は多くの問題をかかえている。

まず、軍事費の絶対額はアメリカが全世界の軍事費の48%(2008年)を占めており、アメリカだけが極端に巨額の軍事費を使っている。その結果、軍備配備面、情報技術の軍事への応用、通常兵器でもロシアは決定的に遅れている。核兵器でも弾道ミサイル防衛構想などの新しい核戦略(ニュー・トライアド)への移行によってロシアを引き離そうとしている。アメリカにとって、ロシアなんか怖くないという状況になっているのだ。

NATOは90年代以降、その活動範囲を域外へと拡大してきた。特に東方への拡大が進められたが、ロシアはNATO拡大が自国の安全保障の脅威の増大につながるとして一貫して反対の姿勢をとってきた。そのようなロシアの懸念に対応して、94年にNATOは『平和のためのパートナーシップ構想」を旧ソ連諸国に提案し、ロシアも同年加盟した。エリツィン政権は東方拡大が避けられないとみると容認論へと国内世論を誘導し、NATOとの関係強化により、ロシア国内の安全保障を強化しようとした。その結果、「NATOとロシア連邦との間の相互関係、協力、安全保障に関するNATOロシア基本文書」が975月に署名された。

99年3月のNATOによるコソボ空爆でロシアはNATO批判を強めたが、作戦終了後、関係改善へ向かう。金融危機による経済的混乱によって欧米諸国の支援を必要としていたことがその背景にあると思われる。さらに、9・11テロ事件後、米ロ関係が反テロで結束し、それがロシアのNATO政策を宥和的にさせた。そして、ローマ宣言「NATO・ロシア関係:新しい質」が署名され、NATO・ロシア理事会の設立につながった。この時点では、東方拡大には強硬な反対をしていない。バルト三国の加盟にも反対はしたが、結局譲歩した。

だが、米国への一極集中的傾向は米国の暴走という現象を引き起こし、それを危惧したロシアは米国離れの傾向を徐々に強めることとなった。ロシアはイラク戦争に対して反対した。04年にグルジアとウクライナで親米派の大統領がそれぞれ就任すると、ロシアはいっそう警戒感を強めた。

プーチンはウクライナとグルジアのNATO加盟に激しく反対しており、一説には、ウクライナがNATOに加盟するようなことになれば、東部ウクライナとクリミア半島の分断をはかり、いまのウクライナ国家そのものを滅亡させると脅したという。ロシアがウクライナのNATO加盟に反対するのは、安全保障上の脅威に直接つながるという議論が国内で根強いからだ。ロシアの防御ラインが東側に移動し、ヨーロッパロシアがミサイルの射程内に入る。また、南の不凍港であるセヴァストーポリを失うことで、黒海などでの制海権を大幅に制限される。さらに、東部ウクライナやクリミア半島に住むロシア系住民へのウクライナ化政策が強まることで、ロシア系住民のロシアとの交流が大幅に制限される。

このようにロシアとNATOの関係が悪化した背景には三点ある。第一にロシア=ユーラシアのアイデンティティの存在。ロシアはヨーロッパではないという意識である。第二に、ロシアの軍産複合体が仮想敵を必要としているということ。第三に、軍民転換によるロシアの産業構造の転換を欧米各国が支援し、「軍事国家=ソ連」の体質改善を抜本的にはかるといった発想が希薄であったことも、プーチン以降のロシアの「ロシア回帰」、「強いロシア」思考につながったと考えられる。

こうしてみるならば、NATO拡大はロシアを硬化させるだけではないか。「ロシアなんか怖くない」と高慢な態度をとるだけでは、問題解決にはならない。もっと中長期的な視点から、ロシアとの関係を考え直す必要性がある。NATOはすでにその活動範囲をNATO域外に拡大している。こうした変化のなかで、ロシアとの協調路線を模索することこそ求められているのだ。

第1章 難航する軍改革

ソ連崩壊後の1992年5月7日にロシア軍が創設された。282万人余りの兵員で米軍の1.4倍ほどの規模であった。陸海空三軍と、戦略ミサイル軍、防空軍の五軍制を継承。98年に空軍と防空軍が新空軍に統合された。01年のプーチン改革で、軍は06年までに陸海空の三軍制となり、戦略ミサイル軍は格下げされ、空軍管轄下におかれることになった。

ロシアの軍事体制を考える際に注意すべきは、武力保持機関が国防省に限らないことだ。軍と呼びうる組織が00年まで、緊急事態省、内務省など10~12の異なる省庁の指揮下に分散されていた。

ソ連崩壊後、ロシア軍の兵員能力は急速に減少した。しかし、03年以降、兵員能力は若干、増加した。プーチン大統領のもとで、契約軍人制の拡大による志願兵の増加がはかられるようになったためだ。

エリツィン時代は軍改革はほとんどなされなかった。プーチン大統領の就任直後00年8月に原潜クルクスの事故が起き、事故原因や救助活動の遅れの究明、海軍による虚偽情報の開示、大統領の危機管理能力といった多くの問題が噴出したために、明確な改革が必要となった。

さらにチェチェン戦争は、契約兵に代表される軍事専門家の重大な専門性不足を露呈し、軍改革が神話にすぎなかったことを示したのである。こうした認識が軍全般の改革を促した。

しかし、その改革は、米国などと異なり、世界の最新鋭の軍隊を構築するといった前向きのものではない。ロシアの国防相の高官は、「戦闘準備状況は四〇年から五〇年前の水準のままである」と認めているほどだ。

ロシアの軍改革には3つの方向性がある。

第一に、段階的な契約兵への移行と徴兵期間の短縮である。徴兵制は一般に、多くの兵員を安価なコストで雇用できるメリットをもっている。だが、イラク戦争が示したように、労働集約型から資本集約型に戦争形態が変化した結果、正規軍への依存は軽減される傾向にある。このため、多くの兵員を集めるより、資本集約型の戦争を支える軍事技術に習熟したより少数の優れた兵員確保がさらに重要になりつつある。しかし、これは実現していない。契約兵に対する給与水準が低く、他の仕事に流れてしまうことが原因で、契約兵数は目標を達成できなかった。

第二に、軍事教育の改革などの組織改革である。03年3月の改革では、国防省内、国防省と内務省のあいだ、国境警備隊と国防省軍内の他の純軍隊の間の調整や融和の不在に関連した問題解決が図られた。このために教育カリキュラムが改定され、共同作戦への地ならしが行われた。04年に参謀本部の権限が縮小され、軍事力の管理が国防相に一元化された。

第三に武器調達の統合である。武器輸出を行う国営企業が国防省のコントロール下に置かれることとなった。06年には軍事産業委員会が設立され、軍産複合体のマネジメントを集中化・強化し、国防省、内務省、非常事態省など向けに統合された武器の生産・開発・発注、軍需産業や軍事技術の発展、武器の輸出入を調整・管理することとなった。

07年にセルジュコフが国防相に就任し、大胆な改革を実施しようとしている。まず、大幅な人事異動が行われ、年長者が主要ポストから更迭され、将校数を削減した。かわって民間人を積極的に登用した。

また、財政資金の効率的な利用を監視する体制を構築するために、連邦税務局により監視局が設置された。この措置は、国防省から独立して国防産業を監視するシステムをつくることで、国防省と癒着しやすい環境にあった軍需産業の経営効率化を促すことを目的としている。国防発注については、連邦軍備・軍事・特殊技術・物的手段調達庁の設立により、国防省との直接的な関係はなくなった。さらにロシア軍を大規模な株式会社のような組織に転換させようとする法案を提出した。連邦国家単独企業(軍需産業)の株式会社化である。

このようにロシアの軍改革はさまざまな形で行われてきたが、著者によるとアメリカ並みの現代化への道はまだまだ遠いという。その主な原因は情報化の遅れであり、それはロシアではエレクトロニクス産業が遅れているからだという。ロシアでは半導体の大量生産が行われてこなかった。ハイテク分野ではロシアはウクライナ企業に多くを依存しているのが現状だ。プーチンの次の発言(08年6月)もこの現状を念頭に置いている。「ウクライナがNATOに加盟した場合、ハイテク、ミサイル技術、他の一部の近代的な武器について、我々はいかなるカネをかけても、我々の領土に移動させる。」今回のウクライナ侵攻の動機の一つにこのような状況があるのだろう。

また、軍の民営化という歴史的な流れがロシアの軍改革に与える影響にも留意しなければならない。

第2章 「軍事大国」の軍事費と軍備増強の実態

ロシアの軍事費を推定するのは簡単ではない。国防費以外の項目に隠されている場合があるからだ。たとえば宇宙開発費は「国民経済」という項目に入っている。軍事費に関する秘密主義が強化されつつあるという見方もある。08年1月からの修正予算法典施行後、歳出の機能別分類に基づく細目別歳出分類表が連邦予算付属表から消え、機能別分類という概念そのものも失われたということだ。この結果、国防ないし安全保障に対する完全な予算支出額を直接、知ることができなくなってしまった。明らかに、軍事関連予算の不透明性が増している。

ロシアの軍事費膨張のイメージには巨大なものがあるが、しかし、GDPに占める割合でみると、99年から08年までの上昇率は4%弱であり、軍事費の増強はそれほど大きいとは言えない。インフレの影響も考慮しなければならない。インフレの急速な進行によるコストの高騰などで、調達が実現しなかった例もある。また、軍事費が非効率に利用されている。軍事技術や装備品が割高に見積もられており、腐敗の温床となっている。

軍備増強の実態を知るには、国防発注という国家による軍備増強そのものに注目する必要がある。プーチン政権下で国防発注は順調に増加傾向をたどっている。02年800億→07年3027億ルーブル。ただし、各年のGDPで除した国防発注額は1%前後で安定的に推移してきた。しかし、国防費の多くは人件費に費やされていると思われ、軍備調達に振り向けられた金額はきわめて少なかったと思われるが、グルジア紛争の影響で「軍事力発展支出割合」の引き上げが目指されるようになった。しかし、ロシアの軍需産業のなかには、生産が受注に追いつかない状況が06年ころから一部で生まれている。生産力不足が顕在化する軍需産業が現れていることになる。その結果、驚くほど多くの軍備調達が行われているわけではない。発注が実現できなかったり、後ろ倒しにせざるをえなくなっている。

第3章 積極的な武器輸出と武器外交の行方

ロシアにとって、武器輸出は貴重な外貨獲得源である。プーチン政権下で武器輸出は順調に増加傾向をたどってきたが、輸出量はアメリカの三分の一ほどであり、世界第三位である。近年、連邦政府の財政状況が好転したため、輸出クレジットを付けて、武器輸出することで武器輸出の増加に寄与している。もちろん、武器輸出の好転の背景には、ロシア製武器が相対的に安価であることが指摘できる。

ロシアにおける武器輸出は、政府系のロシア国防輸出(ROE)が行うものと、輸出許可をもつ個別企業が行うものに大別できる。ROEとは、連邦国家単独企業という、原則として国家財政からの支援を期待できない単独企業である。国家の支配下にある企業の一つであり、事実上これまで国営企業として位置づけられてきた。武器輸出のほとんどはROEによるものとなっている。07年の大統領令で最終軍事用途品の輸出権がROEだけに与えられることになったからである。

ロシアの武器輸出は、当初は対外経済関係省がほぼ独占していた。93年の大統領令で国家が支配するロスヴァルジェーニエ(Rv)が設立され、またさらにいくつかの企業が誕生した。それらを合併する形で2000年11月にROEが設立され、武器輸出の管轄は対外経済関係省の後継であった産業・科学・技術省から国防省に移された。

02年10月にすべての軍産複合体持株会社に自主的輸出権を与えようとしたが、これに対してROEが猛反発し、妨害活動を行った。そして、06年12月にROEに最終軍事品の輸出独占権を供与する提案を承認した。

さらに、ROE総裁チェメゾフはROEの金融産業コングロマリット化の政策を打ち出した。国防産業の再編が行われたのである。国家コーポレーション・ロシアテクノロジーを設立し、ROE傘下の企業やROEを株式会社化して傘下に入れた。国家コーポレーションは特別法によって設立され、連邦政府の直接支配から逃れ、大統領の任命する人物のもとで経営される。連邦国家単独企業と異なって、所有権が認められており、その所有する対象に対して、より自由な権限を行使する。このロシアテクノロジーROSTEXは利権の巣窟として、政治的意味合いが強い。財政資金の投入経路を確保することで、同社傘下の子会社の収益状況を改善したかにみせかけ、IPO[新規株式公開]による資金調達で巨額資金を入手しようとしているのだ。さらに、本来、民営化手続きのもとで、株式売却によって国家に資金が入るところを、自らの懐に資金が還流することになる。巨大組織としてのROSTEXは腐敗の温床となりかねない。

また、傘下企業の債務が膨大になっていて、巨額の財政資金を必要としている。

ロシアの武器輸出上、関係が突出して深いのは中国とインドであるが、それぞれの関係において問題をかかえている。中国に関しては、ロシア製武器のコピーおよび第三国への再輸出(エンジン)が問題となっている。再輸出に関しては、結局ロシア側が許可した。ロシアは中国を明瞭なライバルとして意識するようになり、中国に最新の武器を販売するのは将来、問題を生じさせることになるとして、武器売却に関するいくつかの計画が見直された。中国側も06年からの第11次五か年計画で防衛関連の科学・技術・産業基盤を強化する方針を定め、外国からの支援に依存しない体制づくりを急いでいるという事情もある。この結果、中国側がロシアの軍事技術をコピーして第三国に武器輸出するケースがみられるようになり、0607年のロ中間の軍事協力は難しくなった。その結果、中国への武器輸出額は大幅な減少となっている。

インドに関しては、輸送機・戦闘機・原潜などの輸出が契約されていたが、インドとアメリカの軍事協力が合意されたことにより、ロシアとしては有力な武器輸出先を失いかねない状況になっている。

その他の輸出相手国としては、旧ソ連諸国からなる集団安全保障条約加盟国(ロシア、アルメニア、ベラルーシ、カザフスタン、キルギス、タジキスタン)への軍事支援を行っているが、ウクライナとグルジアはエストニア、ラトヴィア、リトアニア、モルドバ、ポーランドなどと、「民主的選択共同体設立宣言」を採択し、軍事面でもロシア離れを加速介している。ウズベキスタンやトルクメニスタンなども欧米寄り路線に転換しつつある。その一方でロシアとフランスは90年代半ばころから軍事協力を開始した。またロシアでは自国の軍備にも外国製の部品や設備の装備を認める方針転換が行われた。

第4章 急速に再統合される軍産複合体

ここでの軍産複合体とはアメリカでのそれとは異なる。旧ソ連・ロシアにおいてはこの言葉は軍需産業のみを意味するようになったといえる。ロシアの公式文書では軍産複合体という言葉は近年使われず、「国防産業複合体」が使用されている。

本書の定義は「国防産業複合体一覧」にある企業・組織とする。これに基づく軍産複合体総数は1355で、うち991は国防部門に、215は国防省の下部組織に関連し、53は連邦核エネルギー庁の管轄下にある。残りの96は国防発注を遂行するその他の工業部門の組織だ。これらの軍産複合体における、国防発注に基づいて供給される軍事生産の割合は55-58%だった。

軍需産業世界上位30社に入っているロシア企業は、アルマズ・アンテイというミサイル関連企業一社だけであり、その売上高は第一のロッキード・マーチン社にくらべると、七・五%にすぎない。ロシアの軍需産業がいかに小規模であるかがよくわかるだろう。

05年までは軍産複合体は減少傾向であったが、06年以降増加に転じた。特に国有企業形態の軍産複合体が増加している。重要なことは、08年秋以降、軍産複合体も世界的な金融・経済危機の影響を受け、生産高が減少している点だ。民需の減少が企業の手元資金の流動性を悪化させ、賃金や原材料費の未払い、ひいては破産の連鎖という危機的状況が軍産複合体企業でも起きている。

ロシア政府は2000年代当初より様々な軍産複合体に関する連邦特定目的プログラムを策定し、軍産複合体の統合を進め、競争力を強化しようとしたが、その多くは失敗した。政府の計画が失敗した背景には、武器輸出の増加で一部の軍需企業の生産が回復し、統合に反対する動きが広がったことや、軍需企業の関連した過去のしがらみからその再編による権益喪失を恐れる地方の政治家・軍人・企業家の存在などがあった。このため、大統領令で統合方針が示されても、実際の統合がなかなか進まないという事態が起きたのだ。

この失敗から04年に「国防産業複合体改革発展省庁間委員会」を設置し、新しい計画をまとめた。その他、軍産複合体改革のプログラムがいくつか策定された。その結果、投資額の増加率、機械・設備の稼働率、イノベーション製品の割合の上昇などが見られた。国家安全保障の水準を向上させるために科学技術および生産潜在力を発展させるという目標は、ある程度達成されていることになる。

ロシアの軍産複合体は様々な課題を抱えている。全体として、軍産複合体がきわめて厳しい状況に置かれてきたことは間違いない。しかも、技術上の品質を保証するための規制は、規定された品質をクリアーできなかった。製品の品質や納期が守れないなどの原因から、さまざまな外国との契約が実現できず、破棄されたり支払いを停止されたりしている。こうした困難はゼロからの生産という未経験、生産の急速な大規模化、経営手腕の未熟さといったところに起因している。

しかし、軍産複合体は最悪期を脱しつつある。近年、資源価格の上昇によってもたらされた豊富な財政資金が国防発注を通じて投下されるようにもなっている。他方、インフレを利用した武器価格の引き上げやコミッションの横行によって、軍産複合体が不当なレント(資源市況高騰による濡れ手で粟の超過利潤)を得るといった現象が広がっている。財政資金が必ずしも効率的に使われていない現状がある。それでも、軍産複合体は統廃合などの集約化によって、あるいは、欧米先進国からの技術導入によって、ソ連時代の軍産複合体からは変化している。その変化を見極めていくことが今後の課題といえる

終章 新しい「軍事大国」めざすロシア

最後にロシアにおける軍事政策上の課題を考えてみたい。次の5点が課題として指摘できる。

①軍事力の削減という明確な方向性に乏しく、国際協調や平和外交による軍事力重視からの脱却という基本方針がない。こうした理念の提示こそ、もっとも重要な課題であろう。こうした基本理念がなければ、国内経済の軍需産業への依存体質が継続し、そこに潜む、政治家、官僚、軍需産業経営者、学者らの癒着が国民生活を病弊させることになる。

②軍民転換といった軍需産業の縮小という政策立案。ただ実際には、高度情報化の進展過程で軍需と民需との区別はますます難しくなりつつある。エレクトロニクス産業で出遅れているロシアにとっては、同産業の立て直しに努力するなかで、軍需と民需の関係を見直す必要があるのではないか。

③米国に伍していくための軍の量と質の両面からの抜本的改革。

④軍改革のためには先進国からの技術移転に取り組まなければならない。ロシアの産業面の劣位は明らかであり、ロシアの技術水準を引き上げなければ、軍事政策自体が大いに制約されてしまうだろう。

⑤効率性を無視した地方分散型の軍需産業(企業城下町)の構造的問題点を経済政策や産業政策のなかで包括的に解決しなければならない。

米ロ関係は、08年のグルジアでの武力衝突で最悪期に入ったとみられている。「新冷戦時代」の到来を懸念する見方もある。しかし、金融危機後の経済の打撃を考えると、実際にどうなるかはオバマ新政権の出方にかかっている。アメリカはおそらく同盟国の軍事費負担増を求め、それに伴ってNATOにおける欧州独自の安全保障体制の構築がすすむだろう。ロシアにとって、こうした欧米の変化への対応が最大のテーマとなる。

欧米諸国の変化のなかで、ロシアは基本的には、軍事増強路線を踏襲するだろう。しかし、もはやロシアには、自らのイニシアチブで世界をリードするだけの力はない。また軍事大国化は同盟関係が前提であり、一極化ではない。ロシアがめざす軍事大国とは外交・経済などの他分野を含めた包括的な体制づくりを前提とした軍事協力において指導的役割を果たす国となることだと理解すべきである。そのために、天然ガスなどの資源に絡む協力関係の構築や武器輸出により、相互依存関係を強化・発展させようとするだろう。そしてルーブル決済を広げ、ルーブル支配権の拡充を図るだろう。

他方で、中国やインドなどの台頭に対処するために、先進国の技術を積極的に導入しなければならない。特にエレクトロニクス分野の再構築がなければ、アメリカのような軍事革命に乗り出すことはできない。それゆえロシアが極端な排外主義に陥ることはないだろう。

こうした展望に沿って、実際にロシアは軍事大国化ができるだろうか。おそらく上述の二方向の改革は挫折し、変節を余儀なくされるだろう。特に不況下で国家支援が強化される中で、腐敗が深刻化しており、それが大きな足かせになる。

本当はこうした予測を裏付けるメカニズムの存在について示す必要がある。それは権力そのものにかかわる問題である。この課題への回答は近く、必ず公表したい。

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