「都市の農村化」と協同主義

田中一弘 2023

 

協同主義研究会でお世話になっている斎藤義則先生(茨城大学名誉教授)が昨年出版された『「都市の農村化」と協同主義』(有志舎、2022年)を紹介させていただきます。

斎藤義則先生のプロフィール

1950年山形県生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業・工学修士。茨城大学品文学部教授(行政計画論、都市計画論など担当)、同大学地域総合研究所所長を経て、現在は同大学名誉教授。専門は都市計画、地域計画。

NPO法人茨城NPOセンター・コモンズの代表理事を9年間、茨城県内の各市町村で都市計画審議会の会長を歴任。

共著として、『企業城下町日立の「リストラ」』(東信堂、1993年)、『原子力と地域社会』(文眞堂、2009年)などがある。

はじめに

この本は日本の農の問題を都市計画の観点から考えるもので、自由主義から協同主義へと社会を構成する基本的理念を転換する上で、「都市の農村化」が大きな役割を果たすのではないか、と主張するものです。協同主義とは政府や行政などの国家、NPOなどの民間団体、地域住民などの各主体が協力し合って社会をつくっていこうという思想のことです。最近注目されている社会的連帯経済の思想的基盤の一つをなしている、といえるでしょう。著者は三木清や雨宮昭一先生を主に参照しながら議論を展開しています。

現在の日本の置かれている状況を根底から再考し、私たちにとってよりよい社会をつくるためにはどうすべきかを考える上で、この本は有益な示唆を与えてくれる必読の書だと思いますので、紹介させていただきます。

目次

はじめに

第一章 戦後日本における社会基盤とまちづくりの目標・主体の変容

1 復興型社会における戦後体制の確立と国家主導による戦災都市の復興

2 成長型社会における経済的豊かさの追求と政官業による産業・都市基盤整備

3 成熟型社会における個性追求と利害関係市民による生活環境改善

4 衰退型社会における格差の顕在化とNPO法人等による包括的な地域課題の改善

5 縮小型社会におけるリノベーションによる「新たな豊かさ」追求

6 戦後まちづくりの変容と協同主義

第二章 近代都市像からの脱却

 1 日本における都市と農村の関係

 2 近代都市像と計画理念

 3 日本の都市計画制度と都市・農村関係

 4 近代都市計画制度の機能不全

 5 農村の都市化から「都市の農村化」へ

第三章 「都市の農村化」による「新たな豊かさ」とライフスタイルの生成

 1 「都市の農村化」とその意義

 2 暮らしの「新たな豊かさ」をつくる

 3 「農のある」豊かなライフスタイルの生成

第四章 「都市の農村化」を推進する協同主義と地域再生

 1 伝統的地域自治組織の現状と課題

 2 都市農の「共楽」を媒介にした共助の再生

 3 「都市の農村化」を推進する主体と「市民的公共圏」

 4 都市と農村の関係を再生する新たな「混合経済」

 5 協同主義に基づく地域社会の再生

第五章 市民協同による地域社会づくりの事例

 1 NPO法人くらし協同館なかよしの市民活動

    ――スーパーの自主運営から多様なコミュニティ活動への展開――

 2 認定NPO法人茨城NPOsエンター・コモンズの市民活動

    ――大規模自然災害の復旧・復興活動からまちづくりへ——

 3 大洗サーフ・ライフセービング・クラブの市民活動

    ――ユニバーサルビーチから障がい者が楽しく生きられる街へ——

 4 茨城県生活協同組合連合会の市民活動

   ――生協活動と連携した高齢者の見守り活動——

 5 四つのまちづくり市民活動の意義

第六章 都市と農村が共生する「農住自給圏都市」構想

 1 新型コロナウィルスと都市像

 2 コンパクトシティの評価と生活圏の再構築

 3 人新世時代と都市空間の再自然化

 4 消費都市から生産都市へ

 5 「農住自給圏都市」構想の六つの目標

 6 都市を農村化する制度的対応

 7 協同主義による都市と農村が共生する混住社会へ

資料 市民活動報告の記録

注記

あとがき

各章の内容紹介

第一章 戦後日本における社会基盤とまちづくりの目標・主体の変容

この章では、戦後日本を5期に分類し、各時期における代表的なまちづくりを対象に、その都市像、実施主体、その経済的・政治的・社会的背景との関係を分析しています。各時期の主な内容と協同主義との関係は以下のとおりです。

1.復興型社会(19451960年):国家主導による戦災復興ための大規模プロジェクト。国家による「上から」の行政機関間の協同主義

2.成長型社会(19601970年代半ば):政官業の連携による産業・都市の基盤整備。中央政府と行政、企業との政官業の連携による協同主義と市民の対抗運動としての協同主義

3.成熟型社会(1970年代初頭~1990年ごろ):利害関係市民を中心とする生活環境改善型まちづくり。市民、特に新中間層が中心となる利害関係者と行政が連携する協同主義。

4.衰退型社会(19902010年):普通の市民によるNPOなどの市民組織を中心とする包括的な地域課題の改善を目指すまちづくり。地域の多様なステークホルダーによる「水平的」な協同主義。

5.縮小再生画型社会(2010年~):リノベーション(資源の再生利活用、空き家の改修利用など)による新たな豊かさの創造を目指している。地域ぐるみで市民と企業、行政が対等な関係を保って、地域課題の解決に取り組む協同主義。ネットワーク型の協同主義。

このような都市開発及びそれをめぐる各主体の動向の分析により、見えてきた課題を次のように総括しています。

「戦後日本の都市化過程は、人間生活の利便性と快適性および経済的豊かさを飛躍的に向上させてきた。一方で開発による自然環境の破壊と地球環境問題、市場優先主義に基づく都市空間の大規模化と高密度化による弊害、都市と農村の多様な関係の断絶、個人主義と自由主義を過大に優勢ンする価値相対主義による人間関係の希薄化とコミュニティの崩壊など様々な問題を引き起こしている。これらの問題を改善、解決するには、戦後日本社会における発展段階の前提とされてきた農村と都市のさらなる都市化を再考する必要があり、その時期を迎えている。」(7879頁)

第2章 近代都市像からの脱却

この章では、先ず日本の都市と西欧の都市との歴史的な相違から論を起こします。西欧の都市は城壁で都市と農村が明確に隔離されていたのにたいして、近世城下町を成立基盤とする日本の都市は、農村と「有機的で相互に機能を補完する関係を持ち、一体的な生活圏として存立していた。」(83頁)この関係は、1960年代の流通革命によって著しく減退することになった、と述べられています。

戦後日本の都市計画においては、西欧的な都市像をモデルに、都市的土地利用と農的土地利用とが線引きによって区分され、都市と農村とは分離されてきました。それにもかかわらず現在でもこの二つの土地利用は都市内で混在しており、そのような現状を考えると、西欧をモデルとする近代都市像に依拠したまちづくりは再考されるべきではないか、と筆者は主張します。そして目指すべき新たな都市像を「都市の農村化」として提起しています。

「これまでの農村の都市化に代えて『都市の農村化』を推進することである。経済的豊かさと効率性の追求、生活の利便性を優先する『消費都市』から、農産物が一定程度自給できる『生産都市』で『庭園都市』でもある都市像へ再構築することを提案する。」(107頁)

第三章 「都市の農村化」による「新たな豊かさ」とライフスタイルの生成

本章では前章の結論を受けて、「都市の農村化」について詳論しています。筆者によると、「『都市の農村化』とは、都市に農地を増やすことにより、都市の自然生態系を回復させ、『消費都市』から『生産都市』へと再構築し、都市の農村の機能の相互補完関係を再生することである。」(110頁)そして、「都市の農村化」には次の6つの意義があると強調します。その具体的内容については、ネタバレになるので控えておきます。ぜひ、本書に当ってみてください。

1.空間的側面

2.経済的側面

3.循環型で自給的な生活様式としての側面

4.教育、福祉、地域自治などの社会的側面

5.歴史的資産や伝統芸能を保全、創造する文化的側面

6.故郷の心象風景としての側面

これらの側面は、様々な協同性を地域において再評価し再構築する意義があると著者は指摘しています。

次に、「都市の農村化」によってどのような新しい豊かさが生じるかについて、述べられています。

1.安心・安全に暮らせる豊かさ

2.農産物を生産することで得られる食糧を自給する豊かさ

3.環境保全と物質の循環型社会づくりへと寄与することができる、という豊かさ

4.地域社会への所属意識が高まるという豊かさ

5.環境の豊かさ

6.風土と歴史に根ざした個性ある都市で生活する豊かさ

「『都市の農村化』により生まれる『新たな豊かさ』とは、人間と自然が共生し、人々との絆を深め、地域で協同して、自分らしく生活することができるようになることである。」(121頁)協同主義と「都市の農村化」との関係はここでも中心的論点として把握されています。

第四章 「都市の農村化」を推進する協同主義と地域再生

この章では、「都市の農村化」はどのような組織・主体によって実践されるのか、また「都市の農村化」はどのように地域を再生していけるのか、について論じられています。

まず伝統的地域自治組織(町内会・自治会)の現状を分析しています。町内会・自治会の加入率が年々減少しつつありますが、その原因として、長時間労働などにより参加する時間がないこと、活動と運営に自分の意見が反映されにくいこと、イベントに関心がないこと、などがあげられています。

このような現状を打開するために、オープンな人と人との絆を形成するためには、共に楽しむ=共楽を軸とした組織・活動が必要である、と筆者は述べています。

「都市とコミュニティは安全性・衛生性・利便性・快適性を備えていることが重要な要件であることに変わりはないが、もはやそれだけでは、人々は魅力を感じることができない。地域の活動に参加して共に楽しみながら、自分の夢や希望、目標を持つことができ、地域活動を通じて他者と協力し、自分が必要とされる居場所、すなわち所属できるコミュニティがあることが重要になっているのではないだろうか。」(132頁)

共楽を媒介として、自助・共助・公助を複合し新たな共助を再生することができるのではないか、と論じられます。

次に、共楽を媒介とした自助・共助・公助の複合した「都市の農村化」活動は、どのようにして実現しうるのかを、主体・組織の観点から論じています。その推進の主体は市民組織を中心にして、自治体や企業など地域の多様なステークホルダーが協同して地域課題の解決に取り組むことが必要である、と著者は主張します。そのような複合的な活動は、新たな「市民的公共圏」の形成につながり、地域自治を推進するものとして位置づけられています。

さらに、「都市の農村化」はどのような経済的側面を持っているかを、考察しています。それは市場経済の様々な弊害を克服する、新たな「混合経済」であると論じられます。新たな「混合経済」とは、市場的領域と自治体の事業などの公的経済領域およびボランティア活動や市民農園などのコモンズの利用による非営利・非市場の共的且つ自給的経済領域が混合したものです。さらに、このような経済システムは、下からの水平的な協同主義に基づく実践として構築すべきだと結論しています。

第五章 市民協同による地域社会づくりの事例

この章では、「プラットフォームを立ち上げて、包括的な地域課題の解決を目的に活動し、成果を上げている」茨城県内の「四つのまちづくり市民活動」(155頁)が紹介されています。

1.NPO法人くらし協同館なかよし(ひたちなか市)

2.認定NPO法人茨城NPOセンター・コモンズ

3.大洗サーフ・ライフセービング・クラブ

4.茨城県生活協同組合連合会

各団体の活動内容は省略しますが、それらの共通点を挙げておきます。まず、どの活動も当初の目的を実践する中で、他の地域課題を発見し新たな活動を展開していることです。また、「普通」の市民が主体であり、その活動は地域の多様なステークホルダーとの対等な協同により実践されていること、「市場的経済領域」と「公的経済領域」「今日的経済領域」「自給的経済領域」のいずれか、または全てが有機的に連携し、混合した地域経済の仕組みを構築しつつあることです。

この4つの事例は、「近代以後の地域社会において、地域課題の包括的な解決と市民による地域自治を目指して、人的絆を再生し、協同して、生活課題の解決と新たな豊かさを追求する試みである。」(200頁)と著者は結論しています。

第六章 都市と農村が共生する「農住自給圏都市」構想

本章ではこれまでの考察をふまえて、「都市の農村化」を「農住自給圏都市」構想として具体的提案されています。この構想は、農と農業との区別に基づくものです。産業の一つとしての農業ではなく、一つの文化としての農を考えるべきだとします。それは「衣食住全てにわたって自然資源の加工と利活用により、物質循環型の生活を支える・・・・自然と共生し自給的でともに助け合う、自治的な農的生活文化」(214頁)として規定されています。

著者は、新型コロナウィルスの蔓延および急激な人口減少を考えると、近代的な都市と農村の分離を前提とした近代都市計画が限界を迎えていることを指摘し、生活に必要なサービスや商品の購入のオンライン化が進んでいることを前提として、小規模で低密度、分散型の土地配置という新たな都市像を提起します。

「都市的要素と農村的要素が混合し人口密度がそれほど高くない居住地域を、人口減少期における新たな都市・地域像と位置づけることができる。それぞれの居住地が地域・生活拠点となり、規模の異なる中小規模の居住地が分布し、交通よりも情報に重点を置いたネットワークが形成される、そのような地方の中小都市圏を構想することを提案する。」(212頁)

この都市構想が実現するためには、「個人主義・自由主義を尊重しつつも、協同主義を重視する社会への移行」(207頁)が必要であり、「人は誰でも他者に支えられて生きている、という相互依存の関係を再認識し、行動する協同主義に軸足を移すべきである。」(208頁)と主張されます。そこでは格差・不平等による分断が解消され、国家間の対立を乗り越えた連帯の強化の実現を目指すものとされます。

では、「農住自給圏都市」とはどのような都市なのでしょうか。まず、これまでのような消費に特化した「消費都市」から「生産都市」への転換が必要だとされます。すなわち、「都市に農の生産機能を導入することで、自然と共生する循環型生活を再生し、自給的で協同的な社会を再構築すること」(215頁)が必要なのです。この転換がもたらすものは、農的土地利用の導入による都市空間の再自然化であり、農村と対等で相互に役割を補完し合う関係を持ち、新たな共助の仕組みが生活を支える、自給的な生活・経済圏を構成している都市です。

さらに、このような都市像を実現するために必要な制度的対応を検討しています。これまでの都市計画は、何回も触れてきたように、都市と農村との分離を前提としていました。それを裏付けてきたのが、都市計画法における市街地での農的土地利用を原則禁止している市街化区域・市街化調整区域の線引き制度です。この制度は都市に様々なかたちでの農的土地利用が現在も行われていることから、現在では原則選択制となっていますが、これは線引き制度の破綻を示しているのではないか、と著者は指摘します。したがって、そのような土地利用区分を廃止し、都市計画制度の抜本的な改変が必要だとされます。

このような転換は、組織的な制度の改変を伴う必要があります。実際の政策立案と実施は地方自治体でなければ困難であり、また、地方議会と地方議員の役割も重要性を増す、と指摘されています。さらに、議会や行政による団体自治に依存するだけではなく、住民自治の拡充がより重要になるとされ、その具体例としてイタリアのボローニャにおける地区評議会が参考にすることを提起しています。そこでは権限と財源が自治体から実質的に委譲されています。イタリアは協同組合運動が伝統的に盛んなので、このような政治的動きが可能なのでしょう。著者は、「政治体制の違いに関わらず、現代のわが国のNPO法人などの市民活動が成熟していることを考え合わせると、その形態は異なるとしても都市内における分権・自治のシステムを構築する可能性はきわめて高い。」(232頁)として、日本でも同様な制度ができることを展望しています。

最後に、再度協同主義の問題が述べられています。個人主義に基づく自由主義が格差や環境破壊をもたらし、人々を分断することにより民主主義の危機を招いた、と総括されます。そして、協同主義への移行とは、「人種・民族はもとより多様な価値観と改装、ライフスタイル、文化習慣、宗教などを異にする人々との連携・連帯が不可欠であり、多文化共生社会ないし混住社会を構築することにほかならない。」(234頁)と結論付けられています。

本書の読んで

最後に私が本書を読んで感じたことをいくつか書いておきます。

これまで私は都市計画について学んだことがなく、その意味で本書は大変新鮮で示唆的なものでした。私はマルクスの思想・理論を自分の基本的な立脚点にしていたため、これまで都市と農村の対立という問題は理解していましたが、本書のような相互補完的な関係については、まったくの想定外でした。また、わたしはこれまで経済的な社会関係あるいは社会構造を主な注目点としてきました。それゆえ、協同主義の問題も協同組合運動を中心とした社会的連帯経済という経済的な問題に狭めて考えてきたように思います。農業問題という産業としての農については、一定の関心―例えば多国籍企業による農業独占について―を持ってきましたが、文化としての農という問題には気づいていませんでした。そのような私の狭い視点を広げてくれたのが、本書の読んでの最大の意味でした。

ネグリ=ハートや斎藤幸平さんの登場をきっかけとして、コモンとしての農を考える潮流が現在現れてきていますが、まだまだ抽象的・理論的で、また、生活全体との関係を明らかにするものとはなっていません。共有財産としてしか把握されていないのです。この点、私は大いに不満でしたが、それをいかに克服していくかをこの本ではっきりと認識することができました。しかもそれを都市の変容として主張されていることで、都市住民としての私が考えるべき論点を教えていただきました。

最近神宮外苑の再開発計画が大問題となっています。また、私の住む千葉県船橋市でも田畑をつぶしての宅地開発が急速に進んでいます。そのような動きを単に環境問題として批判するのではなく、私たちの生活のあり方の問題として把握するための理論的実践的観点を具体的に提示することが「都市の農村化」という考え方だと痛感しました。農をこれまで破壊してきた都市の側からこそ、問題を提起すべきだということを理解できました。私たちが提起している陣地戦の本丸としてこれから「都市の農村化」の問題を考えていきたいと思っています。

また、社会を変えていこうとする主体について、各章でいろいろ紹介されている事例を読んで、大きな示唆を受けました。これまで私は日本の政治状況を考えると変革主体をどのように形成すべきかが大問題だと考えてきました。この点については澤さんの著書の紹介文でも触れました。しかし、それは大きな勘違いあるいは視点の誤りかもしれない、という気になってきました。というのも、確かに資本主義を批判して社会を変革しようという明確な目的を掲げた政治的主体は、まだまだ極少数派にとどまっていますが、それぞれの生活のなかでよりよい生活を作り上げていこうとする主体が、各地で無数に存在していることをご著書から学んだからです。

資本主義を意識的に批判するのではないけれど、協同主義的な感性で地域をつくっていこうという活動が展開されていると感じました。批判の意識性はそれほど重大な問題ではないということです。もちろん、現在のライフスタイルに対する異議は、資本主義批判の意識性の現れだと思いますが、それを明示的に主張しているかどうかは、あまり問題ではないということだと思いました。必要なのはそのような人々をいかにつなげていくか、地域間の協同をいかに作り上げていくかということではないかと感じています。

以上は私の感想ですが、本書は読む人によってさまざまな示唆を与えてくれると思います。各人の関心に応じていろいろな気付きを与えてくれると思います。ぜひ、皆さんにも本書を読んで新しい社会を考える際のヒントにしていただければ、と切に希望します。

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