武器ビジネス

田中一弘

はじめに

本書『武器ビジネス』(原題はThe Shadow World: Inside the Global Arms Trade2011)は、 原題に見られるように世界の武器取引の闇の部分を暴露するもので、「著者が、一〇年以上にわたる取材をもとに描いた迫真のノンフィクション大作」(「訳者あとがき」、434頁)である。著者のファインスタインは取材によって明らかにされた武器取引の贈収賄にまみれた実例を多数紹介し、同時にそのような腐敗の構造がどのように生み出され、またそれが国家や部外者である一般の生活者にどのような悪影響を与えているかについても、鋭く告発する。アメリカや西ヨーロッパ諸国やソ連(崩壊後のロシア)が第二次大戦後一貫して様々な戦争に関与してきたその理由の一端が本書によって理解できる。また、なぜ現在のウクライナ戦争が終息する気配をなかなか見せないか、を考えるヒントを与えてくれるだろう。

本書によれば、武器取引は政府間や政府と武器製造企業との正規の取引だけではなく、影の世界を持っている。それは武器ディーラーや武器ブローカーと呼ばれる人間が行う取引である。彼らは正規の取引でも仲介を務めることが多いが、非正規、つまり非合法な取引や合法と非合法との境目にあるような取引に大いに関与し、そこから莫大な利益を上げている。有名な例としてはイラン・コントラ事件があげられる。また、情報工作員として暗躍もしている。武器取引で得た情報を各国の情報機関に提供し、報酬を得ているのである。

詳しい内容を紹介する前に、まずは筆者と本書の目次を紹介しよう。

筆者であるアンドルー・ファンスタインは、「1964年南アフリカ、ケープタウン生まれ。ケープタウン大学、カリフォルニア大学バークレー校、ケンブリッジ大学などで学んだのち、1994年にANC(アフリカ民族会議)所属で南アフリカ議会の会員議員。南アフリカ軍の武器購入をめぐる収賄事件の調査を上層部から止められたことに抗議し、2001年に議員を辞職。イギリスに移住して執筆活動に専念している。また、腐敗行為撲滅のための市民団体コラプション・ウォッチUKの理事と、エイズ撲滅のための慈善団体、治療行動キャンペーン友の会の議長をつとめ、武器取引の腐敗行為の捜査にも協力している。」(奥付より)この経歴からわかるように、彼は武器ビジネスの内情をよく理解できる立場の人間だったのであり、その腐敗した惨状を目の当たりにしてその後の人生を武器ビジネスにたいする抗いに費やしている。

本書は上下二巻として出版されている。それぞれの目次を以下に紹介しよう。

上巻

プロローグ

序文

第一部 二番目に古い職業

1 手数料の罪

2 ナチ・コネクション

第二部 手に入ればすばらしい仕事

3 サウジ・コネクション

4 人道を守るため

5 究極の取引、それとも究極の犯罪?

6 ダイヤモンドと武器

7 バンダルに取り組む

8 そして、誰も裁かれない?

第三部 平常どおり営業

9 なにもかもばらばらに——BAEの力で

   虹の国の夢はこわれた/貧困は障害ではない

10 壁以降——BAE式資本主義

   ハヴェルの悪夢/ハンガリー「もっとも幸福なバラック」/じつにスウェーデン的な逆説

11 究極のいいのがれ

下巻

第四部 兵器大国

12 合法的な贈収賄

13 アンクル・サムの名において

14 トイレの便座とハンマーで大笑い……銀河の遠いかなたで

15 違法な贈収賄

16 ユートピアの向こうは、希望?

17 アメリカのショーウィンドー

18 ぼろ儲け——イラクとアフガニスタン

第五部 キリング・フィールド

19 泣け、愛する大陸よ

   「ゴキブリどもに死を」ルワンダの集団虐殺/「もっとも堕落した略奪騒ぎ」コンゴ民主共和国/「金は堕落し、人を殺し、人間の良心を腐らせる」アンゴラ内戦/「青空武器市場」ソマリア/「カラシがなければ、人はトラッシュ屑だ」スーダンとダルフール/増大するブローバック報復——エジプト、リビア、そしてコートジボアール

第六部 終局

20 世界に平和を

21 不完全な未来

謝辞

訳者あとがき

ファンスタインは序文において本書のアウトラインを簡潔にまとめている。序文を読めば基本的な内容はほぼ理解されるであろう。序文で触れられている要点を要約者なりにまとめると次のようになる。

1.武器取引の闇―影の世界

武器取引は怪しげな武器ディーラーやブローカーが暗躍する影の世界を持っている。また正規の政府間取引においても手数料と称して合法的な贈収賄が横行する世界である。その代表例としてイギリスとサウジアラビアのアル・ヤママ取引がある。

2.民主主義の破壊者としての武器ビジネス―軍産議複合体

武器ビジネスは軍部と兵器産業との利害のみならず、文民政府高官や議会議員の利権の温床ともなっている。アメリカの実態を詳しく暴露・批判する。

3.暴力の原動力としての武器ビジネス

武器ビジネスのあるところ、いたるところに軍事紛争あり。アフリカがその最大の犠牲者である。

4.社会の不安定化、をもたらす武器ビジネス

武器ビジネスは軍事費の増大、軍拡競争を常に引き起こしてきた。その結果、社会にとって有益な国家予算は減額され、社会に必要な公的サービスが削減されてしまう。

5.軍産議複合体にいかにして規制するか

本書の結論部分であるが、悲観的な予測が中心となっている。最終章の題が「不完全な未来」となっていることに注目してほしい。なおこの部分は序文では展開されていない。

本書の特徴は上に述べた一般的論点を無数のエピソードを追うことによって展開している点だ。さながら一級の冒険譚、推理小説の趣を呈している。個々のエピソードを読むと人間の罪深さ、欲望がいかに暴走するか、暗澹たる気持ちにさせられる。しかし、闇の世界に敢然と立ち向かう人々も少数ながらいることが分かり、応援したくもなるし、自分に何ができるかを考えるきっかけを与えてくれる。

蛇足だが、本書の書評はネットで検索してもなかなか見つからない。アマゾンなどのカスタマーレヴューを別にすれば、ネット上で読むことができるのは、朝日新聞編集委員吉岡桂子氏の書評のみである。その末尾に次のような一文があった。「読み終えて、「武器輸出三原則」を昨春に撤廃した日本を思った。このぬかるみにひきずりこもうとする力は、どこから来たのだろうか。」いやはや・・・・(そんなもん、決まっているだろう)。物言えば唇寒しになるので、これ以上は言うまい。さすが忖度の朝日である、とだけ言っておこう。『文藝春秋』 201410月号に山内昌之×片山杜秀×福岡伸一(ゲスト)による鼎談書評が掲載されていることが山内氏の公式サイトhttp://yamauchi-masayuki.jp/?page_id=108で確認された。その他、ブログで詳しい紹介をされているものがいくつかあり、特にLiving Well Is the Best Revengeと題するブログの記事https://tomkins.exblog.jp/24834146/は大いに参考になる。

本作を原作とするドキュメンタリー映画も制作されている。「シャドー・ディール 武器ビジネスの闇」で検索するとヒットするから興味ある方はご覧いただければ、と思う次第である。予告編がYouTube上で公開されている。https://www.youtube.com/watch?v=22Yfw4XB6cY

なお、本要約では、以上に要約者がまとめた論点に沿って本書の内容を紹介したい。本書は同一の論点が複数の章にわたって展開されている場合が多いので、必ずしも章立て順の要約にはなっていないことをあらかじめ断っておく。どうかご了承されたい。

1.武器取引の闇影の世界

まず第一に、彼によれば武器ビジネスの一部は非合法的に行われている。武器製造会社の多くは私企業であり、それらが政府、企業同士または第三者と取引するが、

その一部は合法的な存在ですらない。そのなかには国家以外の関係者——武装民兵から反政府グループ、テロリストの非公式の集団まで——や、のけ者国家がふくまれる。武器の販売と供給には、怪しげな仲介人や代理人がかかわることが多い。彼らは武器ブローカーまたは武器ディーラーとも呼ばれる。」(上16頁)

武器取引は三種類に分類することができ、その境界線はあいまいである。まず政府間や政府と武器製造会社との正規の取引がある。第二に、「灰色市場」と呼ばれる取引がある。これは合法的なルートで管理されるが、隠密裏に遂行される取引である。第三に、闇市場があり、こちらは完全に違法な取引であり武器ディーラーが暗躍するものだ。

本書には何人もの武器ディーラーが登場するが、その中からいくつか紹介しよう。まずは「世界最初の華麗で伝説的な武器ディーラー」(上28頁)であり、「武器ディーラーの原型となる雛型」(上33頁)であるバジル・ザハロフである。ザハロフは1850年ごろギリシャで生まれた。彼は売り込みと贈収賄の達人であると同時にセールスマンとスパイ両方の役割を務め、常にライバルの一歩先をいっていた。

ザハロフの最初の武器取引はスウェーデンの兵器メーカーであるノルデンフェルト社との取引であり、同社の潜水艦をギリシャとトルコに売るように勧めた。トルコはザハロフの母国ギリシャの仇敵であった。武器ディーラーが愛国心や倫理観などみじんも持たないという特徴をはっきりと示す事例である。また、彼は自らの商売が繁盛するように、新聞や国境警備隊員に賄賂を渡して、扇動的な記事を書かせたり、国境でトラブルを起こさせたりして戦争を焚きつけた。その結果、軍事予算が承認され彼に注文が舞い込むのである。彼は世界中の政府に取り入ったのであるが、それは秘密の手数料や賄賂を役人・政治家に支払ったからである。

第一次世界大戦では未曽有の人命が失われた。ザハロフはイギリスの政治家ロイド・ジョージのためにスパイとして働き、大戦の両陣営気に武器を売りつけて巨万の富を築いた。イギリス政府は彼に最高位の功労勲章を授けた。晩年は自分の過去の活動の証拠を闇に葬り去ることに関心を向けた。彼は1936年、モンテカルロの自室バルコニーの車いすで87歳の生涯を、ゆがんだ皮肉な笑みを浮かべながら閉じた。

次に紹介するのは、ナチスドイツ軍少佐だったゲーアハルト・メルティンスである。彼は戦後アメリカ陸軍情報部に雇われ中東に関する情報を提供していた。彼が武器取引の世界に入ったきっかけは1952年のエジプト旅行だった。エジプトは1948年の第一次中東戦争でイスラエルに大敗したため、CIA暗黙の支援のもと、元ドイツ軍人を雇い軍隊の訓練を手伝わせることにした。その一員としてメルティンスは参加したのである。彼はエジプトが支援を求めてソ連に接近するとエジプトを離れたが、中東での活動を続けた。その結果、情報工作員として役立つと見なされ、1950年代中期にアメリカ陸軍情報部に雇われ、中東に関する情報を提供するようになった。1963年、元ナチの高級工作員で戦後連邦情報局長官を務めたラインハルト・ゲーレンから「第三世界にドイツの武器を販売するための仲介役」を依頼され、メレックス社を設立した。メレックス社はアメリカのインターアームズのドイツ販売代理店として雇われた。1965年にベネズエラにF-86戦闘機を売却し700万ドル弱の利益を上げたが、この取引は贈収賄でもぎ取ったものだった。1966年にはインドとパキスタンとに同時に戦闘機を売ったことでアメリカ議会で大問題となった。この一件でインターアームズとの提携関係を解消し、またドイツ情報部との関係も冷却した。そこで「アメリカ陸軍情報部の応援を得て、メルティンスはアメリカ支店を開設する」(上60頁)。

メルティンスはナチの不滅のコネクションを使い、新しい取引の大半を南米で手に入れた。メルティンスがもっとも深く利益をもたらすコネを築いたのは、ピノチェト独裁政権下のチリであった。元ナチの聖職者パウル・シェファーがこの取引に関与していた。シェファーは子供へのいたずらで告発された後、ドイツ国外に逃亡し、アンデス南部のドイツ人共同体コロニア・ディグニダーを設立した。この共同体は自給自足と自称民兵の熱意を組み合わせた奇妙な社会的価値を持っていた。居留地の下には秘密のトンネル網が作られ、チリの秘密警察が政敵を拷問するために利用した拷問室を備えていた。

冷戦の終了により、1980年代末にはメレックス社は苦境に陥ったが、メレックス社はユーゴやリベリアの内戦、湾岸戦争などで利益を上げた。メレックスは世界中に代理人のネットワークをはりめぐらせている。

武器ディーラーや革命家、独裁者、食わせ者、戦争屋、宗教的過激派、拷問者、マネーロンダリング業者・・・の広大なネットワークにコネをつけた。彼らは全員、儲かりそうな混乱状態があればどこででも活動していた。この無政府状態の迷宮が、新たな世界の現実のなかの影の世界だった。」(上104105頁)」

それらの代理人のうちで最も悪名高いのは、リベリアの軍閥大統領チャールズ・テイラーである。

テイラーは1948年にリベリアの首都モンロビア郊外で生まれた。父は学校教師をしており、中流階級の生活を送っていた。最初は教師になるための勉強をしていたが、1972年に「リベリアのエリートの約束の地」(上169頁)アメリカに移住し経済学を学び、エリートの一員になった。1980年には独裁者サミュエル・カニオン・ドーの政権で公的調達をすべて管理する要職に就いた。しかし、その地位を利用した横領に手を染め、告発される恐れがあったため国外に逃亡したが、1984年逮捕され収監された。ところが、早々に脱獄に成功し再びアメリカへと渡る。テイラー自身の話によれば、アメリカの情報機関の協力があったという。(CIAは否定している。)しかし、脱獄直後に仲間が画策したドー政権転覆の動きに応じてアフリカに戻り、ブルキナファソでリベリア人亡命者が結成したリベリア国民愛国戦線に参加した。この転覆工作は失敗したが、テイラーたちはブルキナファソやカダフィのリビアからの支援をえられるようになった。カダフィを通じて隣国シエラレオネの革命統一戦線(RUF)との関係もできた。テイラーの権力奪取後、NPFLとRUFはダイヤモンド産出地域を支配するための共生関係を築き、暴虐のかぎりをつくすことになる。テイラーはシエラレオネ内戦に深く関与していたのである。

チャールズ・テイラーは「武器取引とダイヤモンド密輸とマネーロンダリングの相互につながった一連のサービスを必要としていた。」(176頁)それゆえ、メレックスの代理人をつとめていた。リビアのカダフィ政権から軍事訓練、武器弾薬、資金の協力を得て、1989年リベリアに侵攻し、第二国家「大リベリア」を設立し、あらゆる商取引から利益を得た。侵攻から8年後の1997年におおむね自由で公正な選挙で75%近い得票率で大統領に選出された。

大統領となったテイラーは、大リベリアで自分が開発したシステムを完璧な状態に高めて、木材製造と鉱物採掘からかなりの収入を得た。武器とダイヤモンド密輸とマネーロンダリングという内戦中の彼の要求は、大統領選出後の時代もくりかえされた。」(上182頁)

1999年からテイラーの支配に対する持続的な反乱が起き、2003年には彼の支配体制はズタズタにされた。2003年にシエラレオネ特別法廷が起訴状を出し、テイラーは和平交渉を開始せざるを得なかった。交渉の結果、テイラーは自由を獲得すると同時に大統領を辞任しナイジェリアに移住したが、リベリア政府による送還要請にナイジェリアが同意したため、逃亡した。しかし国境で逮捕され拘留された。(上208211頁)オランダのハーグにある国際刑事裁判所でテイラーのためのシエラレオネ特別法廷が設置され、2013年に禁固50年の刑が確定し、今もイギリスHM刑務所フランクランドに収監されている。

テイラーがリベリアを支配していた6年間、6万~8万人のリベリア人が殺害——集団殺害、斬首、儀式殺人——され、数えきれない人々が悲惨な仕打ちを受けた。メレックスの代理人のうち、テイラーがもっとも最悪の部類だと言われるゆえんである。

以上、武器ディーラーの暗躍についての本書の主な内容を紹介してきたが、冷戦終了がもたらした武器取引に関する叙述を引用してこの節を閉じる。

一九八九年のベルリンの壁崩壊は、全世界で武器ディーラーの仕事のやりかたを大きく変えることになった。冷戦後の世界は、『歴史の終わり』と紛争の終結をもたらすのではなく、市場主導のアメリカ式民主主義が世界全体で受け入れられると、よりいっそう複雑な武力紛争に悩まされた。世界のあまり安定していない政権の多くをアメリカ側またはソ連側についているという根拠でささえてきた支援の崩壊は、国内の人種的な非国家関係者のあいだの紛争が将来、大規模に勃発することを予告していた。」(104頁)

アフリカの惨状については最後の節で紹介する。

2.民主主義の破壊者としての武器ビジネス——軍産議複合体

武器ビジネスはそれを行っている国々の民主主義を破壊する、とファインスタインは述べている。兵器産業は国家安全保障に大きくかかわっているため、その内実は秘密のベールに覆われることが多い。そのため武器取引は「政府と商業と犯罪行為の錯綜するネットワークであり」(上25頁)自分の利益に利用する少数のエリートの管理下に置かれている。それゆえ、武器取引は「大がかりな贈収賄と腐敗行為に打ってつけ」(上18頁)であり、全世界の商取引にまつわる腐敗行為のうちの40%以上を占めている。

その結果、もっとも高度に管理され、規制されるべきこの取引は、政府と民間の活動のなかで、もっとも精査されず、説明責任もはたされていない分野のひとつとなっている。それにともなう違法行為を隠蔽しようとする試みは、さらなる違法行為へとつながり、政府を弱体化させる結果につながる。」(上19頁)

兵器産業と軍をはじめとする政府機関との癒着関係のシステムを軍産複合体というが、その腐敗したありさまをファインスタインは様々な取引を取り上げて詳細に検討している。まずイギリスの兵器製造会社とサウジアラビアの腐敗した取引をとりあげる。次にアメリカの軍産議複合体に関する叙述を要約する。

(1)イギリスの兵器産業とサウジアラビアの腐敗に満ちた武器ビジネス

第二次世界大戦後、英米が武器取引を事実上独占していた。冷戦が長引くとイギリスの影響力が弱まった。1960年代に入るとアメリカが群を抜いて最大の武器輸出国となり、イギリスは市場獲得のため、激しく競争せざるをえなくなった。その結果、イギリス政府が兵器産業の経営合理化を促し、いくつかの兵器製造企業の合併が行われた。その一つがブリティッシュ・エアクラフト・コーポレーション(BAC)であった。BAC1977年にさらに他の二社と合併し、ブリティッシュ・エアロスペース(BAE)社が誕生した。

誕生当時のBAEの生き残りは「いかがわしい評判の砂漠の一王国」(上42頁)すなわちサウジアラビアにかかっていた。サウジの石油は1938年に発見された。

石油の富は、サウジが西側との共生関係を築くことを可能にしてきた。暗黙の保護の保証と、武器取引への飽くことを知らぬような欲求の見返りに、石油は豊かに供給されている。アメリカとイギリスは、武器輸出に同意する前に人権問題を考慮するよう義務づけた法律と取り決めの当事者だが、こと武器を売ることにかんしては、同王国の独裁的で、圧政的で、女性嫌悪的な支配体制には目をつぶっている。人権侵害は日常茶飯事で、イスラム教以外の宗教儀式は違法とされ、政党は非合法化されている。」(上43頁)

1960年代初頭、サウジは最新鋭の戦闘機をほしがり、英米の兵器製造企業が激しい競争をくりひろげた。しかし、アメリカ政府は地域のパワーバランス、特にイスラエルとの関係を乱すことを恐れて、ロッキード製の戦闘機の供与にあまり熱心ではなかった。そのため、英米の共同提案としてイギリスの戦闘機(ライトニング)とレーダーシステム、訓練がサウジに提供され、「これはイギリス史上最大の輸出取引であると発表された。」(上45頁)イギリスの共同企業体の代理人を務めていたジェフリー・エドワーズはサウジの国防航空大臣のスルタン王子と親しい関係を築いていた。この取引でエドワーズは200万ポンドを手数料で得たが、それをまかなうために一機あたりの価格が5万ポンドあげられた。手数料=賄賂はサウジの王子たちにも支払われた。しかしこの手数料は後のロッキードやノースロップの契約に比べれば微々たるものだった。のちにこの慣行はクーパー訓令により合法化され、本書執筆時点でも続いている。手数料は取引のコストに算入され、その額は契約価格の10%以上に上ることもあった。それがサウジ政府予算と兵器製造業者の利鞘から負担した。

1970年代をとおして、米英仏はサウジの気前の良い武器取引により利益を得つづけた。しかし、「本当の大儲けはまだこれからだった。」(上50頁)その大儲けとは1985年に契約されたアル・ヤママ取引である。

一時国営化されたのち、サッチャー政権下で直ちに民営化されたBACは当時税制破綻寸前の状態だった。イギリス政府はこの球場からBAEを救うためにこの取引をサウジに持ちかけたのである。この取引には首相の息子マーク・サッチャーが深く関与していたとされる。その内容は対地攻撃機96機、戦闘機24機などを販売した。その「見返りに、サウジは一日四〇万バレルの石油を供給することになった。」(上72頁)このような形での取引をオフセット取引というが、サウジが石油を支払いに充てたことにより、サウジにとって実質上簿外取引となり贈賄の隠蔽が楽になった。サウジ側の代表者はバンダル王子である。イギリス側がいかにこの取引に執着していたかは、「鉄の女」サッチャー首相がバンダル王子にほとんどしゃがむほど膝を曲げてお辞儀したことに端的にあらわれていた。この取引は当時史上最大の武器取引として知られた。第二弾の取引は1988年に行われ、その価値は100億ポンドと見積もられた。そしてこの取引はその後何十年もBAEの生命線となったのであり、総額で430億ポンド以上の純益をもたらした。

イギリスの重大不正捜査局(SFO)が取引関係者の内部告発によりアル・ヤママ取引に関する疑惑の捜査に乗り出したが、BAEおよびイギリス・サウジ両政府の公益および秘密保持を理由とした強硬な妨害により、捜査は中止された。イギリス側の事情としては次のサウジとの取引であるアル・サラム取引を成功させたいということが背景にあった。

イギリスがこの取引に成功した背景には、アメリカ議会がイスラエルのロビー活動によりサウジがほしがっていたF-15戦闘機売却を認めなかったことがある。アメリカの政治家の中には、サウジが武器をテロリストに横流しするかもしれないと恐れる者もいたのである。しかし、そのようなアメリカの姿勢もイラクのクウェート侵攻により変化した。アメリカは以前には議会で承認されなかった大量の新鋭軍事装備をサウジアラビアに売却するようになった。そしてバンダル王子によるキャンペーンと、何よりもカーター大統領自身と彼の閣僚の多くのロビー活動のおかげで、1978年にF -15戦闘機のサウジへの売却が議会で承認された。バンダル王子は1983年サウジの駐米大使になり、イラン・コントラ事件においてアメリカに協力した。また、アフガニスタン戦争に際しても、CIAと協力してアフガンに武器や経済援助を数十億ドル支出している。

BAEはこのアル・ヤママ取引に示されているように、イギリス政府の黙認により世界中に何十億ドルにものぼる秘密の現金支払いの巨大な世界的ネットワークを築いた。武器販売代理人、銀行、イギリス政界、アラブの王族のネットワークが存在し、アル・ヤママ取引での贈賄・腐敗行為が展開された。手数料名目の贈収賄、王族の遊興費の支払いなどが裏金として支出された。BAEは腐敗行為を隠そうとすることで、民主主義と法の支配を傷つけ、購入国の社会経済の発展をさまたげていた、と言える。

本書執筆時点の最新情報として、20115月にBAEはアメリカ国務省との司法取引をまとめていることが明かされている。その内容は非公然代理人との関係、偽装した支払いの概略の説明を行うことによって、BAEが長年否定してきた疑惑を認め、国務省の行った訴追案件で8億ドルの罰金を科せられた。そのかわり直接的な贈収賄の罪はあらかじめ除外された。人々は「これほど長いあいだ倫理と法律と道徳に反するふるまいをした企業がこんなに容易に罪を逃れることに怒りをおぼえ」(下393頁)ざるをえなかった。

(2)アメリカの軍産議複合体

①アメリカの軍産議複合体の基本的な構造——「鉄の三角形」

本書下巻の中心となっているのは、アメリカにおける軍産議複合体に関する暴露・批判である。様々な事例が多様な観点から紹介されており、本書の白眉をなしている。

ファインスタインのいう軍産議複合体とは、軍部をはじめとする政府、兵器製造会社、議員の錯綜する利益のネットワークである。批評家の一部はこの体制を評して「鉄の三角形」という言葉を使用している。彼らはそれぞれの利益を追求することを目的として武器ビジネスに関係している。企業は政治家や政党に献金の形で経済的貢献をするし、国家公務員や退役軍人などに雇用の機会を提供する。いわゆる回転ドア人事である。その見返りに彼らは軍事予算の獲得に影響を及ばす。

この軍産複合体はさらに経済や外交政策、参戦の決定を含む行政のあらゆる側面に有害な影響を与えているのだ。この不安は、軍産複合体がやっていることの大部分が議員や裁判官、メディアや民間団体の監視役の精査にたいして開かれていないために、いっそう増大している。」(上21頁)

アメリカにおける軍産議複合体の成立は第2次世界大戦中のルーズヴェルト政権の時代である。その初期の時代にナチスに侵略された西ヨーロッパ諸国のための「民主主義の武器庫」となった。そして日本による真珠湾攻撃以降は自身に供給し、アメリカの国民・資源・産業力を戦争目的のために結集させた。いわゆる総動員体制をしいたのである。総動員体制はアメリカ社会の広範にわたる変化の原動力となった。

国家の資源のますます多くの部分が軍隊に振り向けられ、連邦政府とアメリカの産業界との前例のない密接な関係が生まれた。これによって、国防機構に公共政策を左右する独自の生命があたえられ、権力の分立に有害な影響がおよぼされた。行政府とアメリカ産業界のあいだに、たがいが相手を庇護すると同時に権限をあたえる共生関係が生まれ、透明性と説明責任が減少して、ついには行政の権限にチェックが働かない環境を作りだしたのである。フランクリン・ローズヴェルトは、ホワイトハウスに君臨した年月に、行政府をかつて考えられたよりもはるかに巨大な権限と秘密性と自主性とを持つ官庁に変えた。」(下6頁)

第二次世界大戦の勝利は、アメリカ政治・社会を「その後何十年も形作る行政の越権行為と軍国主義的侵略の力を解き放った。」(下6頁)この時から防衛産業は国内・国外政策を決定するに際して有力な役割を演じるようになった。さらに増大するソ連の脅威、つまり冷戦の開始が拍車をかけた。共産主義の影は自由への脅威であり、それはアメリカへの脅威でもある。そのような主張により平時と戦時の境界線は曖昧になり、常に戦争に備えて軍備を整備することが主張された。そして、1947年の国家安全保障法により、権力は国務省から国防総省に移動した。国防総省は軍事基地、研究所、指揮センター、防衛産業などの広大なシステムの中心地となっている。そして、この法律は兵器産業にとっては天の賜物であった。軍部と産業界は前例のない規模の協力関係を築き、政策へ多大な影響力を及ぼすようになった。さらに、軍産議複合体の秘密の作戦を実施するためにCIAが利用された。CIAの創設により、政策の説明責任は弱まり、アメリカの国庫的利益と私企業の私的利益との境界線は曖昧にされた。ロッキード社は特にCIAとの関係が近く、ラテンアメリカと極東で武器をうりつけ、CIAの工作の一部に積極的にかかわった。その象徴が、C-5A輸送機である。同機は会計検査院によって25か所の欠陥を指摘されたが、空軍関係者や議員たちやニクソン政権の支援によって空軍に採用されたのである。

アメリカは今や世界最大の武器製造国であり、武器の売買も世界最大である。本書の執筆時点で軍事支出は世界の43%を占め、第二位の中国の6倍にも上る。

軍産議複合体は様々な手段を使い自らの権益を実現してきた。その中にはデマまがいのプロパガンダがある。冷戦初期で決定的な役割を果たしたのが、爆撃機ギャップとミサイルギャップという「政治的な流言」だった。特に後者はアメリカの核兵器開発計画及び核戦争計画に多大な影響を与えた。この考え方は、ソ連の最初のソ連の最初の宇宙船スプートニク1号の打ち上げ後に生まれた。言い出しっぺはサイミントン上院議員と防衛受注企業の重役——サイミントンの空軍長官時代の個人秘書だった。「この企業はこのギャップを埋めるためにミサイルを一発一五〇万ドルで製造したいと考えていた。」(下9頁)ケネディ大統領は議員時代に大いにこの言説を主張して共和党政府を攻撃したが、後にこれが神話だと認めざるを得なかった。

先に述べたようにアメリカの軍産複合体は、正確に言うと軍産議複合体である。そこで次に議員と防錆産業との関係について見ておこう。

防衛受注企業はあるシステムの契約と下請けを広範囲の連邦議会選挙区に意図的に分散させ、そのシステムに長く持続する支持をあたえる議会の後援者を作りだすのである。選挙で選ばれた議員が連邦議会の同僚たちと行政府にたいする製造企業の代理人となるのだ。それは実際にはアメリカ国民のごく一部の利益にしかならないが、契約と下請けは、じゅうぶんな数の議員がそのシステムのために尽力せざるを得なくなるように、戦略的に配分される。」(下38頁)

一方で議員も自らの選挙区に防衛企業の施設を国家予算を使って誘致・建設することにより、地元の雇用を生み出し、選挙での支持を得ようとする。軍事費濫用を批判するリベラル派の議員でさえ、地元で兵器製造の計画が持ち上がると軍事予算支持派に豹変する。しかし、軍産議複合体が主張する雇用の増加は誇張されており、大いに疑わしい。ファインスタインによれば、他のどんな形での支出も軍事支出にくらべより多くの雇用を生み出すし、社会的に道徳的にけがれておらず有意義である。逆に軍事増大のための公共投資支出の削減は、全国での雇用の純損失を招く、と言われる。

第二次世界大戦は——そしてそれがもたらした製造業刺激策は——アメリカを大不況から救った。よくそういわれてきた。こんにちでは、現実はその正反対のようだ。『戦時経済』はアメリカを現在つづいている経済の泥沼に押しやる働きをしたのである。好景気の時代、アメリカは金を使うことで深刻な経済危機に陥った。」(下195頁)

さらに、アメリカ議会には指定交付金という慣行がある。これは連邦の金をしばしば無関係な法案の予算に付加し、彼らが選んだ事業と企業に随意契約(競争入札なしにある会社にあたえられる契約)を与える過程を指している。議員はこの交付金を獲得することにより防衛企業に利益を与え、その見返りとして選挙資金などの政治献金を受け取るのである。これは合法的な贈収賄にほかならない。また、政治家と企業とを仲介するロビイスト事務所は、企業の依頼を受けて、議員に違法な寄付をすることにより契約が成立すると多額の報酬を受けとる。また、国防総省をはじめとする高級官僚——軍人も含めて——は、自らの出世や退官後の再就職の保証を目的に防衛企業が売り込んでくる計画を実現しようとする。

アメリカ国外における武器ビジネスでは、関連産業への支援が行われる。補助金やアメリカ製兵器の購入に特定された援助、購入国に対する気前のいい借款、他国の政府や企業に対する兵器購入への公然非公然の圧力などがその形態である。さらに当然のごとく、外国政府関係者や武器ビジネス仲介人への賄賂も使われている。

ウォーターゲート事件の後、数々のスキャンダルが暴露され、大衆の関心を引くようになり、強力な規制と贈収賄の禁止を求める声が上がった。防衛産業からはアメリカを経済的に不利にするという抵抗にあったが、そうした抵抗は無視され、1977年に海外腐敗行為防止法(FCPA)が全会一致で可決された。しかし、「販売促進費用」は法律の除外条項で許可されており、この法令の道義的な力を弱めている。また、外国企業としての子会社は適用対象が制限されている。さらに、2000年には国際腐敗行為防止優良ガバナンス法とサーベンス・オクスリ―(SOX)法が成立し、2001年に同時多発テロを受けて成立した愛国者法では、マネーロンダリングを焦点とする監視と資金移動追跡の権限が強化された。しかし、権力中枢に居座る大手武器製造企業は深刻な罰をまぬがれている。その結果、「《フォーチューン》誌の売り上げ上位一〇〇〇社で回答を寄せた二〇〇社のうち、三分の二がFCPAは『取引にほとんど、あるいはまったく影響がない』といっている。」(下5657頁)

防衛企業と政界との依存関係は、外交政策における強い好戦性に現れる。巨額な軍事支出を続け防衛企業を反省させるために、アメリカは世界の警察官の役目をはたしつづけることが不可欠なのだ。第2次世界大戦後、朝鮮戦争を皮切りにヴェトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争に至るまで、アメリカはひっきりなしに海外での戦争、軍事作戦を展開し続けている。

次に、アメリカにおける軍産議複合体の典型的な事例を二つ挙げておこう。

ジョン・マーサは、1974年にヴェトナム帰還兵として初めて連邦議員(下院、民主党)になった。1989年に軍事支出を管理する強大な権限を持つ下院歳出委員会防衛省員会の委員長になり、地元に多額の予算を振り向け、「地元利益誘導の王」と称された。彼の親友ポール・マグリオチェッティが創設したロビイスト事務所PMAは顧客企業にたいする指定交付金をマーサから獲得していた。たとえばある防衛企業に一億ドル以上の軍事契約と交付金を与え、その企業から6万ドルの選挙資金の寄付を受けた。2008年にFBIが不適切な選挙運動寄付金の捜査に入り、マグリオチェッティは腐敗行為と共同謀議を素因として起訴されたが、その一年後、マーサの行為に関する議会倫理局の調査は打ち切られ、下院倫理委員会はマーサに対して何の措置も講じないように勧告した。この「救出」作戦を仕切ったのが、チャーリー・ウィルソン議員である。彼はソ連のアフガニスタン侵攻に対するアメリカ政府の政策に大きな影響を与えた。

1982年にチャーリー・ウィルソンはアフガニスタンのペシャワルを訪れ、ソ連の侵攻に抵抗するアフガン人ゲリラ負傷兵に心を奪われた。彼にとってムジャヒディンの戦士は「自由のために戦う高貴な野蛮人」として見えたのである。そして、彼らへの資金提供を年500万ドルから75000万ドルへと増やすように議会を説得した。さらにアメリカと同額の資金を出すようにサウジアラビアのスルタン王子とその息子バンダル王子を説得したのである。その支援は、CIAの協力のもと秘密作戦として実施された。

一九八〇年代を通じて、アフガニスタンのムジャヒディンは、ソ連のヴェトナム戦争となった過酷なゲリラ戦におけるアメリカの代理兵士だった。その敗北はその後のソ連帝国の崩壊にある程度の役割を演じた。これは、議会における論争も、街頭の抗議もなく戦われた、史上最大の秘密戦争だった。」(下1819頁)

しかし、この支援はアフガンからソ連を追い出すのに絶大な効果をもたらしたが、同時にアメリカに対して壮絶なブローバック報復をもたらした。ソ連撤退後もCIAはサウジの支援の下、大量の武器をアフガニスタンの反目する軍閥に流し続けた。その結果、アフガニスタン内戦は激化した。ロシアはムジャヒディンはアメリカにとっても危険だと示唆したが、アメリカはそれを無視した。その後、ムジャヒディンたちはアメリカへのテロ攻撃を実施するようになる。また、イラクのクウェート侵攻時にはサダム・フセインを支持した者もいた。最大のブローバック報復は言うまでもなく9・11同時多発テロである。チャーリー・ウィルソンはそのような事態を前にして、自分がやったことの結果を事実として認められず、酒におぼれることしかできなかったのである。

②軍事費増大をめぐる政治史

先に述べたようにアメリカの軍事費は圧倒的な世界一位であるが、そのような膨大な支出のきっかけは、レーガン政権による軍備増強路線である。第一期政権二年目の軍事支出は1850億ドルに達し、2年前に比べると39%の増大であった。第二期には軍事支出は倍増し、「アメリカ史上最大の平時の軍備増強を記録した。これは軍産議複合体にとって大規模な天の賜物」(下58頁)だった。しかしそれは「納税者の支出をむさぼるあくどい商売」(同上)にほかならない。たとえば、たかが便座に600ドルが支払われ、C5A輸送機に装備されたコーヒーメーカーが7662ドルの値段がつけられていた。

レーガン時代の浪費は父ブッシュ政権下でつづいた。(下71頁)ブッシュ家が金持ちになるに際して重要だったのは、「サウジの王族とのビジネス関係である。」(下71頁)ブッシュ家は未公開投資会社カーライルとの関係があり、父ブッシュは同社が買収した企業の取締役に任命された。そして、同社の「もっとも重要なサウジ人投資家のひとつがビン・ラディーン家で」(下79頁)あった。それにくわえて、元米政府閣僚、退役軍人などを同社は抱えていた。(ちなみに、イギリスのジョン・メジャー元首相(在任期間は19901997年)は1998年に同社顧問、20022005年にカーライル・ヨーロッパの会長だった。要約者)

冷戦の終結に伴い軍事費は半減し、防衛産業の整理統合が始まった。この機会を利用して、ロッキード社は合併や買収により世界最大の兵器製造企業へと変貌した。ロッキード社CEOのオーガスティンは、「貿易のための防衛政策諮問委員会(DPACT)の委員もつとめていた。「回転ドア人事」である。

DPACTは、「[国防]予算の規模と形への影響力がしばしば議会を上回る』、ほとんど知られていない組織のネットワークの一部だった。DPACTは武器輸出政策に関して国防長官に秘密の助言をあたえる。オーガスティンはまた国防科学評議委員会——はじまったばかりの兵器開発計画を、承認あるいは却下する権限を持つ、国防総省の諮問委員会——の委員長で、退役軍人と主要な防衛受注業者で構成されるアメリカ陸軍協会の会長でもあった。」(下79頁)

諮問委員会が議会を素通りして政策決定するやり方は、日本でもお馴染みである。それは国権の最高機関を無視する行政府の態度を典型的に示している。オーガスティンはクリントン政権の国防長官とCIA長官の仕事仲間であり、そのコネを利用してあらゆる公共政策に影響をおよぼし、自分の会社の契約と補助金を手に入れるのに利用した。兵器産業の合併に対する補助金や兵器輸出補助金という政策がその一例である。

このような再編期を経て、子ブッシュ(以下単にブッシュと表記)政権が発足すると、アメリカ社会は防衛企業のパラダイス、ユートピアと化した。そのきっかけはもちろんのこと、9・11同時多発テロ事件と二つの戦争——アフガニスタン侵攻と第二次イラク戦争——であった。

ブッシュ政権における軍民双方の重要省庁は軍国主義者によって支配されていた。さらに防衛企業関係者が軍の要職に多数就いていた。いわゆるネオコンによる支配である。9・11はインターネット・バブル崩壊による株価の急落の解決策として軍事費増大政策をとる理由となった。それはすべてを一瞬にして変え、アメリカを永久に戦時体制に置くこととなる。つまり、「ブッシュ・ドクトリンによってアメリカは、危険の証拠がはるかに少なくても、そして起こりうる結果をほとんど精査しなくても、戦争を自由にはじめられるようになった。」(下8990頁)ブッシュ・ドクトリンは、石油の誘惑にくわえて、アメリカの覇権を行使し世界のその戦略的規範にあわせて作りなおすための強いイデオロギー的欲求に基づくものだった。

その結果は、戦争というビジネスにかかわる企業にとって思いがけない棚ぼたとなったが、その代償として、世界はアメリカ合衆国の理想とされるものにとって、以前よりも安全でも、安心でもなく、従順でもなくなった。」(下245246頁)

さらにブッシュは同時多発テロは国家保安機関の失策であり、私企業だけが安全保障上の情報と対策を持っていると確信し、治安維持権限の民間委託にかじを切った。それによって、安全保障は国が提供するものでなく市場価格で買うものとなった。ブッシュは議会での面倒な論争を避け、大統領を支持する愛国心に訴えて政策を変更したのである。

ブッシュ・ドクトリンという軍事理論体系はアメリカ社会に深刻な影響をもたらした。

従来の経済学では、「持続可能な成長には安定と平和が必要であると昔からいわれてきた。テロとの戦いはその想定をくつがえした。世界はどんどん平和でなくなっていく一方で、どんどん利益を蓄積していった。少なくとも、信用危機までは。・・・・911同時多発テロ事件以降、テロ攻撃は商況には好材料と市場では受け止められているようだ。」(下102頁)

実際、テロ事件直後には安全保障関連株の株価が急上昇した。

またテロ事件以降の軍事機能の外部委託は、新しいロビイストを誕生させ、ロビイ活動事務所は急増した。これらの事務所はメディア企業とも密接な関係にあり、アメリカ民主主義の本質を脅かしている。軍事の民営化は、その活動に最小限の透明性と説明責任しか果たさない状況をもたらした。軍産議複合体の実態を解明し批判することの難しさがそこに端的にあらわれている。

これはアメリカ式の資本主義と軌を一にしている。アメリカ式資本主義では企業の活動はその企業の領域であり、国民も議会も彼らにかんする情報を手に入れる基本的な権利を持っていない。なかでも注目すべきは、アメリカの情報公開法が私企業におよばないことである。」(104頁)

戦争の民営化は、二つの戦争を同時に進行させたことによる正規軍の兵力不足にその一因があるが、イラク社会に暴力の氾濫と混乱を招いただけだった。「イラクに残されたものは、暴力と殺人、莫大な浪費、そして存在するあらゆる法の支配の弱体化だ」。(下258頁)軍事的にはすばやい勝利を収めたかに見えるが、軍事的成功の後の管理計画が簡単なものしかなかったため、混乱を招いた。連合国暫定統治機構(CPA)の兵力が少数だったため、民間分野につねに頼らざるをなかった。その結果、戦費は急増したが、それによって巨額の収入を得た企業、政治家が存在した。政治家としては父ブッシュ政権で国防長官、ブッシュ政権で副大統領だったディック・チェイニーやブッシュ政権で国防長官だったラムズフェルドがあげられる。彼らは戦争民営化の積極的推進者となった。チェイニーは、石油関連の大企業であり、軍事サービス関連企業でもあるハリバートン社のCEOを務めていた経歴があり、同社の大株主でもあった。ハリバートンはイラクの復興に携わっていた企業の中心であった。それらの企業の復興計画はずさんで価格を水増しし国家の金を浪費した。その結果、アメリカの統治任務は著しく弱体化された。

オバマ政権下でもテロとの戦いは継続された——イラクからは一期目に戦争終結を宣言し、イラクを混乱状態に放置したまま撤退したが——。大統領選挙戦時のオバマによる発言とは異なり、軍産議複合体の体制はブッシュ時代とほとんど変わっていない。というか、敵があまりにも強大すぎるのだ。クリントン政権で経済変化チームの長を務めた経済学者ロバート・クラインは、「防衛費の削減はまったく政治的選択肢ではないことをはっきりいわれたと回想している。」(下194頁)防衛企業は相手を政治的に叩き潰しにくるからである。ファインスタインはオバマに対して次のように提言している。

もしオバマ大統領が、就任後の最初の慎重な数年間から抜けだして、大統領候補時代に体現していた変化のための力として浮上するつもりなら、軍産議複合体に立ち向かわねばならない。軍産議複合体は、誇張された世界的脅威と根拠のない経済的主張、そして染み付いた浪費癖にもとづく数十億ドル規模の予算に慣れきっている。そのための鍵は、国防費の削減だけでなく、調達やロビー活動、性能にかんするはるかに大きな透明性にもあるだろう。兵器ビジネスが、アメリカの民主主義を大きく傷つけ、アメリカ議会で急増する合法化された贈収賄に究極の受益者であるのはあきらかだ。そして、それを主として、責任ある透明な統治をさまたげる、秘密主義のベールの陰でやっている。兵器産業と、それが生みだす武器取引にオバマがどう取り組むかは、彼が述べた『政治のやりかたを変える』という願いの成否を決めることになるだろう。」(下204頁)

しかし、残念ながらこの提言は実現されそうもない、とファインスタインは予感していた。アメリカの選挙運動での匿名の献金はその重要性を増し、オバマは武器調達過程の改革を実現できないからである。さらに復活した右派勢力がもたらす政治的苦境の中で、軍産議複合体はその不可視の影響力を保持し、これからも利益を得るだろう、とファインスタインは総括している。

3.暴力の原動力としての武器ビジネス

ファインスタインによれば、武器ビジネスが暴力の原動力となって社会の不安定化をもたらしている。前節でアメリカの軍産議複合体の悪行を見てきたが、それはアメリカだけの問題ではない。

武器ディーラーや兵器製造会社、さらには政府までもが、世界大戦から冷戦、テロとの戦い、小さな反乱から大規模な革命にいたる紛争に武器を供給し、利益を得るために緊張をあおり、持続させてきた。時には同じ紛争であらゆる側に武器を売る場合もある。」(上17頁)

武器ビジネスの関係者にとって、利益を上げることが至上目的であり、戦争にまつわる政治的、イデオロギー的、はたまた倫理的な見地などみじんもない。アメリカやイギリスがイスラエルに武器供与する一方で、そのイスラエルと戦火を交えるほど敵対していたサウジアラビアにも莫大な武器を売りつけていた。イスラム革命後のイランに対しても、レバノンでシーア派組織ヒズボラに捕らわれたアメリカ人人質を解放するために、イスラエルを経由することでアメリカ発であることを隠蔽しつつ武器を売却し、その利益をニカラグアの反政府勢力武装組織コントラの支援に使った。有名なイラン―コントラ事件である。

暴力の原動力としての武器ビジネスの最大の被害者はアフリカ大陸の人々である。ファインスタインは本書の第五部を「キリング・フィールド」と題して、アフリカの惨状を余すところなく叙述する。「キリング・フィールド」とは辞書的に訳すと戦場となるが、要約者はこれを「殺戮大陸」と訳したいと思う。ファインスタインはアフリカを「影の世界のもっとも肥沃な大地」と呼び、次のように述べているからだ。

大陸の植民地の歴史と独立闘争、冷戦期の戦い、貧弱な国家構造、そして権力にしがみついてママ私服を肥やすために進んで国から盗む『大物』支配者のせいで、紛争と暴力と貧困がたえまなくつづいてきた。」(下292293頁)

植民地宗主国による民族分断にもとづく統治、独立後の資源をめぐる民族紛争、冷戦時代の米ソ両国の代理戦争、冷戦終結後の余剰武器の流入。これらがアフリカ大陸の「殺戮大陸」へと変えてきた。ここでも武器ディーラーや兵器製造会社は暗躍し多額の利益をむさぼっている。その結果、「失敗[破綻]国家」という国家の体をなしていない地域が多数生まれており、現在も混乱が続いている。

特に兵器が簡単に入手できることは、紛争の結果であると同時に紛争を引き起こす原因でもある。

武器が簡単に入手できると、こうした紛争は急激に暴力的で破壊的になる。場合によっては、些細な衝突が本格的な戦争にエスカレートさせることもある。・・・・アフリカにおける武器取引は社会的な対立を軍事化し、それが起きた場合には、そのあとかならず大量死と貧困、大規模な難民、人権侵害が発生する。」(下293頁)

その代表的な事例がルワンダにおけるフツ族とツチ族との血で血を洗う相互的な集団虐殺である。集団虐殺には長い歴史的ルーツがある。ベルギーによる植民地支配は、それ以前の社会的流動性を民族のアイデンティティを強調するツチ族とベルギー人との連立体制へと変化させた。しかし、1959年にフツ族がこの体制の転覆に成功すると、ベルギーは即座にフツ族を支持した。1962年にベルギーが植民地支配を放棄すると、「あとには人種的な争いで分断された社会と一触触発の緊張状態、そしてツチ族の同胞を大いに恨むフツ族の新政府が残されたのである。」(下294頁)

このファインスタインの記述から理解すべきなのは、民族対立というのは、先天的なものではなく、対立をあおる政治権力の作用によって生み出されるものであるということだ。ひとたび虐殺事件が起きるとその恨みは積年の恨みとして歴史的に継続していくように仕向ける権力者が必ずいる。あるいは家族や友人がその被害にあった人間は、自然とそのような憎悪にとらわれ復讐を誓う。ウィキペディアの記述によると両民族はそもそも同一のものが次第に牧畜民と農耕民へと分化したものと考えられている。両者には宗教、言語、文化に差異がないことや互いの間での婚姻がなされていたことが理由として挙げられている。

また、アフリカの民族紛争は一国内の問題ではなく、数か国の間での戦争につながりやすい。それは植民地時代に西欧諸国宗主国によってひかれた境界線が民族の居留地分布を無視した恣意的なものだったことに原因がある。ルワンダも例外ではなかった。

ルワンダ内戦の軌跡を簡単な年表によって示しておこう。

1973年:反ツチ族の反乱がおきるとジュヴェナール・ハビャリマナが軍事クーデターで権力を握り独裁政権を樹立した。彼は両民族のバランス政策を約束したが、実際にはルワンダを個人的領地として支配した。

1985年:ウガンダ政府が国軍にバニャルワンダという大部分がツチ族のルワンダ亡命戦士を加える。当時のウガンダ大統領ムセヴェニが権力奪取の際に彼らの手を借りていたからである。

1987年:ツチ族のルワンダ愛国戦線(BRF)が設立。

1990年:BRFがルワンダに侵攻。ザイールとフランスの軍事支援により、ルワンダはBRFの攻撃を食い止める。

1991年:停戦協定。

1993年2月:再び侵攻を開始し、首都にまで迫り、その結果平和協定が調印された。

しかしハビャリマナはツチ族虐殺の準備をひそかに進めた。全ツチ族を悪魔に仕立て上げるプロパガンダ戦争を始め、身を守るためにツチ族を抹殺しなければならないと宣伝した。さらに急速な軍事化を進めた。武器をフランス、南アフリカ、エジプトから調達した。フランスが最大の供給源であり、南ア、エジプトからの調達にもひそかな役割を演じた。それは自国のアフリカにおける影響力の拡大の機会を見てとったからである。フランスは部隊を送り、ルワンダ軍を強化・訓練した。また、ツチ族は敵だ、と刷り込む思想的洗脳にもかかわっていたとされる。

1994年:ハビャリマナとフツ族のブルンジ大統領シプリタン・ンタリャミラを乗せた飛行機が撃墜された。誰が撃墜したかははっきりしていない。その翌日集団虐殺が本格的に始まった。「わずか三か月のあいだに、八〇万人から一一七万四〇〇〇人の人々が殺され、そのうち少なくとも四〇万人が子供だった。」(下303頁)

1994年7月:BRFがルワンダ政府を打倒。その後、殺戮の規模と激しさが完全に明らかとなった。

ルワンダの集団虐殺の世に広まったイメージは、原始的なすさまじい殺戮、血に飢えた反乱、大虐殺を想起させる。しかし、真相はその正反対だった。集団虐殺はできるだけ多くの人間をできるだけ効率的に殺すために慎重に組織化されていたのである。」(下303頁)

理性的な狂気とでもいうべき事態が、ルワンダで繰り広げられていたのである。その一因が輸入された武器による殺戮の効率化であった。

このルワンダ紛争と密接に関連していたのが、コンゴにおける紛争である。コンゴはその豊富な天然資源を求める隣国、ヨーロッパ諸国、武器ディーラーたちによって武器が供与されてきた。

コンゴでは、ベルギーからの独立後、もっとも人気のあった政治家であるルムンバが首相に選ばれた。「熱狂的な民主主義者で、当時有数の雄弁な政治家だったルムンバは、ベルギーとやはりコンゴに関心を持っていたアメリカから真剣に敵視された。」(下305頁)軍の反乱やカタンガの分離独立に直面した彼は、「西欧諸国の助けを求めたがうまくいかなかった。いらだった彼はソ連に目を向け、すぐさまかなりの補給品を受け取った。」(下305頁)

ルムンバは熱心な民主主義者でありながらアメリカから敵視され、その結果否応なくソ連と結びつかざるをえなかった。自国の経済的権益のために民主主義者を敵視する民主主義国たち。その一方で軍事独裁政権を支持する。民主主義国を自認しながら、他国の民主主義を敵視し独裁を支援するという矛盾が明らかである。経済的利権の前では政治的な思想、原理すら無視されるということを示す好例だろう。カストロの事例と同様の態度をアメリカはとったのである。

元ジャーナリストで西側とのつながりのあった、当時の国軍の長であるモブツが無血クーデターで政権を握り、政治活動を禁止するなど独裁政治を行った。ルムンバは逮捕され虐殺された。西側諸国はモブツを支持した。「アメリカは主として武器で三億ドル近い軍事援助を提供した。それはアンゴラのUNITA反政府運動を支援する基地としてザイールを利用できるようにするためでもあった。」(下306頁)

ルワンダ内戦によりフツ族難民がザイール(1971年にコンゴから改名していた)に押し寄せ、そのなかに軍事組織のメンバーが多数いた。そのため、ルワンダのツチ族政権(BRF)とウガンダは1996年ザイールに侵攻し、復讐と民族的憎悪による集団虐殺を行った。国連の報告書によるとルワンダ国内のツチ族に対する集団虐殺にほぼ匹敵するものだったという。

訓練が不十分で士気が低かったモブツの軍隊はあっけなく敗退し、1997年侵攻軍が首都を占領し、国名をコンゴ民主共和国へと改めた。密輸業者のローラン・カビラがルワンダとウガンダに担がれて暫定大統領に就任したが、選挙をなかなか実施しようとしなかったなどから、彼の政府もあっというまにほころびた。フツ族軍事組織との戦いが進展しないのは、カビラによる政治的保護のせいだと考えたルワンダ軍・ウガンダ軍はカビラに反乱を仕掛けた。カビラは地域の仲間に支援を呼びかけ、ジンバブエ、ナミビア、アンゴラ、スーダン、チャド、リビアなどが援助し、首都キンシャサを救った。ルワンダとウガンダはコンゴ東部を支配したが、1999年鉱物資源の支配をめぐり対立し、闘い始めた。三つ巴の戦いが展開されたが、どこも勝利を収めることができず、グループ内でも民兵集団の争いがあった。戦争は2003年まで続き、コンゴは徹底的に破壊され、330万人が死んだと推定されている。この戦争は現代アフリカ史上最悪の戦争であり、アフリカの大戦争と呼ばれるようになった。2003年の停戦協定成立後も東部地域では紛争が続いていた。

西ヨーロッパと同じぐらい広い国土全体でこのような広範囲の戦いができたのも、ひとえにコンゴ民主共和国の天然資源を産業規模で搾取することで支払われる無制限の武器の流れのせいだった。あらゆる側が稼ぐ巨額の金は、戦争をつづけるなによりの理由のひとつとなり、紛争を拡大する手段と私腹を肥やす道を提供した。・・・・戦線は金鉱とコバルト鉱を擁する地域の周辺に集中した。」(下310頁)

この搾取はルワンダなどの外国をふくむ政界、軍、実業家のネットワークによって行われ、彼らは何十億という収入を自分の懐に入れていた。武器取引が彼らの経済活動の中核をなしていた。

コンゴには「安価で大量の武器が絶えず流れこんでいた。そのほとんどは、冷戦後のアフリカの紛争の大半がそうであったように、東ヨーロッパの余剰在庫から調達したものだった。」(下315頁)

驚くことに、国連は第二次コンゴ戦争中に武器禁輸を課すべきだと考えず、あらゆる勢力が罰を受けずに武器の輸入にかかわることを可能にした。現在の禁輸は、国内のかなりの地域が無政府状態で統治不能なため、事実上執行できない。」(下317頁)

以上みてきたアフリカの失敗国家の事例は次のことを余すところなく示している。すなわち、武器ビジネスの本当の敗者は、軍事費濫用のツケを払わされる納税者と、武器流入が引き起こす紛争や経済悪化、貧困の罪もない一般大衆の犠牲者である、ということを。

4.社会の不安定化をもたらす武器ビジネス

武器ビジネスはそれが行われている社会において、その秘密主義のベールのために民主主義を破壊していることは、アメリカの軍産議複合体の分析によって、すでに述べてきた。サウジアラビアやイランのような非民主主義国においては、武器ビジネスは野蛮な国の強化につながっている。さらに、武器ビジネスは民主主義という政治次元のみならず、社会全体の不安定化を引き起こす。

脅威にさらされている国でも、平和な国でも、国防費の負担は、なによりも重要な社会の要求や発展の必要性から資源を大幅に奪うことになり、それが本質的に社会の不安定をあおる」(上17頁)

たとえば、南アフリカではアパルトヘイト廃止後の民主主義政権が、エイズと闘う600万人分の抗HIV薬が供給できないと主張していた時に、総額60憶ポンド近い大金を武器に費やしていた。3億ドルが手数料としてディーラーや政治家、官僚に支払われた。

また、前節で見たように、武器の流入が民族間や国家間の紛争を激化させ、多くの難民や負傷者、死者を生み出し、社会を混乱の渦に叩き込む。それは何もアフリカなどの発展途上国に限るものではない。

アメリカではベトナム戦争が社会に深刻な分断をもたらした。またソ連に対抗して援助したムジャヒディン戦士はアメリカからの支援された武器を使用してテロ攻撃を仕掛けている。その対策として成立した愛国者法は普通のアメリカ人の生活を監視する権限を政府に与え、個人の自由を損なっている。日本でも有名な経済学者のスティグリッツらは、世界的な経済危機の部分的な原因として戦争を挙げた。戦争に伴う原油価格の上昇は、原油輸入のための金が国内で使われないことを意味した。つまり、その分だけ内需が減少する。その一方で、すでに見たように軍事支出は景気浮揚には役立たない。それどころか借金まみれの国庫にまかなわれる戦争は、景気の低迷を悪化させたのである。そして、軍事予算が生み出すと主張される雇用も、他の形の雇用にくらべて費用対効果が低いものとなっている。その理由は、軍事支出は直接的支払いのみならず、研究開発資金や補助金、兵器製造会社の救済措置にも膨大な金額が注ぎこまれているからである。

ネオコンはある意味で正しかった。イラクとアフガニスタンの戦争は世界と中東を変えた。しかしそれは、根本的により不安定で、もっと危険で、国内外でより民主主義的でなく、より貧しく、そしてなによりも重要なことは、アメリカと戦争を支援するイギリスのような西欧諸国にたいしてどんどん敵対的になる世界である。」(下291頁)

防衛受注企業の人間だけがこの戦争で法外な利益を上げた唯一の勝者であった。

5.軍産議複合体をいかにして規制するか

大半の先進国が経済的に長期低迷——破局——に至っているにもかかわらず、軍需品と兵器への需要はほとんど弱まってはいない。そのような状況下で軍産議複合体に対抗し、彼らに規制をかけることはできるのだろうか。

武器ディーラーを訴追し有罪にすることはなかなか困難である。というのも、彼らと利害を共にする政治家のせいで、訴追への政治的な意志が欠如しているし、戦争地域からの証拠集めが困難であり、かつまた国際的な犯罪行為のため、裁判所の管轄権が問題となる。

アメリカではすでに見たように、海外腐敗行為防止法が制定され、企業の自主規制でよりクリーンな資本主義がめざされた。しかし、販売促進費用の許可という抜け道が用意されており、あまり効果が上がっていない。

国連の制裁や武器禁輸は、国内の法制の枠組みが、ある種の世界共通の司法管轄権を認めなければ無意味なのだ。法律とその執行者たちは多くの場合、多国籍犯罪を時代遅れの法的手段で取り締まらねばならない。」(上275頁)

近年、アムネスティ・インターナショナルやオックスファムなどの熱心なNGOが、多国間の武器取引の行動規範を定めるべく活動している。その結果、国連は国際的な武器貿易条約(ATT)を実現することを確約した。この条約が実現すれば、「疑いなく重要な一歩前進となるだろう。・・・・そして、市民が政府の責任を問うためのさらなる道具を提供するだろう。」(下423頁)

しかし、ファインスタインはこの条約に対して悲観的な見方をしている。武器ビジネスの「死と貪欲のネットワーク」に歯止めをかけるにはほど遠いものだ、と。アメリカに対して影響を与えることはほとんどないだろう、と。(本書出版以後の経過として、アメリカはオバマ政権が条約に調印したが、議会で批准されておらず、トランプ政権は、20194月にATT署名を撤回することを表明した。中国は当初反対していたが、2020年に加入した要約者)

ATTがもっと効果を発揮するためには、強力で法的強制力のある腐敗行為防止の仕組みを盛りこむことが必要だろう。紛争を増大させたり人権や社会経済上の発展にマイナスの効果をあたえる場合には武器の輸出を防ぎ、武器の輸送をもっとしっかりと管理し、オフセット取引を禁止するか、はるかに多くの精査を受けさせるために。さらに、代理人や武器ブローカー、武器ディーラー、仲介者になんのためにいくら支払ったかを公表する強制力をふくめた、はるかに大きな透明性を政府と企業に課すために。そして、それには、それを取り締まるための良く調整された国際的な監視体制と執行機関を設置する必要があるだろう。」(下424頁)

果たして、そのような体制は実現するのだろうか。ファインスタインはアメリカが変わらない限り、実現は難しいと考えている。アメリカ大統領は果たして軍産議複合体の支配力を弱める政策にかじを切ることができるだろうか、と疑問を投げかけている。そのためにまず、兵器産業の関係者や武器ディーラーによる政治献金を違法とすべきだと提言している。

最後にファインスタインは次のような倫理的な要求を記して本書を閉じている。

普遍的な人権と平等と公正への基本的な責任、殺人兵器をまた作って人の命を奪うよりも、空腹な胃袋を満たすことで命を救うほうがいいという信念。それは、この取引が、人類史上屈指の破壊的で腐敗した取引が、いまのまま、ほとんど無秩序で、精査されていない状態でつづいていくのを許してはならないと要求している。」(下425頁)

私たちはこの要求をどのようにして実現していくか、ロシアのウクライナ侵略という現在の事態を前にして、真剣に考えていく必要があるだろう。それも国際的な連帯とともに。また、武器ビジネスが資本主義体制の宿痾であることを考えるならば、資本主義を乗り越える社会システムの実現を目指して。

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