田中一弘
はじめに
文明フォーラム@北多摩会員で研究担当の事務局をなさっている澤佳成さん(東京農工大学講師)が新しいご著書を上梓されました。非常に刺激的で示唆に富むものですので、皆さんに簡単ではありますが、ご紹介したいと思います。(はるか書房/2023)
目次
序章 なぜ、開発に翻弄される〈農〉を問うのか?
1 不安——私たちの食は大丈夫だろうか?
2 不覚——知らぬ間に発生している加害―被害関係
3 真相――南北格差の問題点
4 協治――維持可能な社会のガバナンス
5 構成——本書で考察すること
6 小農――そのありかたを見つめる
7 答え——なぜ、開発に翻弄される農を問題にするのか?
第Ⅰ部 開発が奪ってきた〈農〉の営みと〈いのち〉
第一章 私たちのケータイが〈いのち〉を奪っているかもしれない?――コンゴ民主共和国での
環境破壊から考える
1 コンゴ民主共和国と私たち
2 ケータイの原材料が〈いのち〉と〈農〉を破壊している
3 アフリカ中部でジェノサイドが起きた理由
4 一〇〇年の時を経てもなお存在する奴隷制
5 コンゴでのジェノサイドが注目されないのはなぜか
6 問題を改善していくために
第二章 いつもどこかで飢餓が起きているのはなぜか?――ハイチ共和国の歴史から考える
1 ハイチ共和国を襲った現代帝国主義の作用
2 ハイチを襲った世界同時食糧危機
3 ハイチのコメ農家の受難
4 ハイチの小農が追いつめられた背景①――現代の帝国主義
5 ハイチの小農が追いつめられた背景②――いまも続く植民地化
6 改善策を探る——私たちの加害者性/被害者性を回避するために
第三章 不公正な「世界=経済」システムはなぜ誕生したのか?――現代帝国主義を成り立たせ
ている思想のルーツを探る
1 「文明」が採っていた考え方
2 宗教者も逃れられなかった「文明と野蛮」図式
3 自由主義の功と罪
4 自由民主主義の限界
5 解決されるべき最重要課題——周辺をなくす
【コラム1】少しのガマンが環境破壊を緩和する?消費と生産との表裏一体性
第Ⅱ部 〈帝国〉の論理に抗う人びと
第四章 私たちの食が〈いのち〉を奪っているかもしれない?――セラード開発とプロサバンナ
計画の内実から考える
1 和食は自然を尊重している
2 セラード開発
3 プロサバンナ計画
4 防がれた加害者性
第五章 開発への抵抗運動は小農の何を守ったのか?――マルクスの思想から考える
1 モザンビークでの抵抗運動が示す問い
2 第一の視点——労働の質の変化を防いだ
3 第二の視点——「略奪による蓄積」から守った
4 資本主義というときの資本とは?
5 第三の視点――「自由な労働者」への没落を止めた
6 マルクスの示した変革への可能性
第六章 維持可能な民主的ガバナンスを希求する人びとの特徴とは?――プロサバンナ計画に抗
った人びとの実践から考える
1 〈帝国〉権力への抵抗
2 プロサバンナの運動が示唆するもの——〈帝国〉の論理に抵抗する能動的主体?
3 コスモポリタニズムの理念とマルチチュードとの接合
4 地域の声と支援
【コラム2】コスモポリタニズムの系譜
第Ⅲ部 維持可能な民主的ガバナンスのかたち
第七章 人間と〈地域コミュニティ〉の自律にとって重要な視点とは?――日本とフィリピンと
の森をめぐる話から考える
1 〈帝国〉の論理とエコロジー問題とを併せて解決するガバナンス
2 ゆきすぎた資本の論理を抑えるための四つの視点
3 フィリピンと日本にまつわる森の話
4 マラヤグ村の取り組みから考える維持可能な〈地域コミュニティ〉
5 マラヤグ村の取り組みが示唆すること
【コラム3】〈マルチチュード的コスモポリタン〉はコミュニティ概念の対立を緩和する?
第八章 〈いのち〉をまもる維持可能な民主的ガバナンスとは?――〈地域コミュニティ〉を基
盤に据えた環境思想から考える
1 地球を覆う〈帝国〉の論理を払拭するガバナンスは可能か?
2 ローカルを基調としたグローバル・ガバナンスへ
3 維持可能なガバナンスへの展望——CEP複合社会の諸相から考える
4 この絶対的自由を基礎としたつながりのある社会へ
5 菜園家族・商匠家族が職業として選択される社会へ
おわりに
謝辞
初出一覧
各章の内容紹介
序章 なぜ、開発に翻弄される〈農〉を問うのか?
ウクライナ侵攻を原因とする食糧安全保障上の不安がかき立てられている。その一方で、農地を手放さざるをえなかったり、プランテーションでの低賃金労働を強いられている人々が、世界には存在している。それは、安価な食料を海外から買い付ける政策に潜む「構造的な負の問題である。」(11頁)それが構造的だというのは、世界的なフードサプライチェーンのなかで、「供給網の終点で利益を享受する消費者の私たちが、供給網の始点で生産に従事する人びとの一部をつねに苦境におちいれてしまうという現実がたしかに存在する。」(11~12頁)からである。また、工業製品生産に使われる原材料を採掘する現場でも、農地の収奪や奴隷労働を強いられる人々がいる。「世界的な経済システムのなかで、知らぬ間に加害―被害関係が生み出されてしまっているのだ。」(12頁)
こうした構造の背景にあるのが、南北問題である。かつての帝国主義時代の植民地支配の関係が形を変えて持続しているがために生まれる南北の経済格差を利用して、北が安価な原材料・食料を獲得するという事態である。「だからこそ、南北格差を改善し維持可能な社会への道筋を考えようとするならば、経済のグローバル化の契機となった大航海時代以降の歴史を考察し、複雑に絡み合う問題を丁寧に解きほぐしていく必要があるのではないか。」(13頁)つまり、帝国主義の思想と「その背後にある哲学上の問題の分析」(13頁)が重要である。
「本書は、不十分ながらも、こうした構造的な問題の背景について、〈農〉の営みを阻害する開発という観点から探り、維持可能な社会の阻害要因をラディカルに考察するのを第一の目的としている。」(14頁)
筆者は農を問題にするのはなぜか、という問いに答えて、次のように述べている。小農の苦境を改善することが、「同時に、私たちの加害者性を取り払い、公平な関係性を築く端緒となりうるから、ということになるだろう。自然環境破壊をくいとめるためには、人間と自然との共生に加えて、社会の構造的な問題による不公正な状態を改善し、人間と人間との共生を実現していくことこそが、誰もが安心して平和に暮らし、安定した職にありつける維持可能な社会を築くための前提になると思うのだ。」(19頁)
本書のもう一つの論点は、維持可能な社会ではどのようなガバナンスが模索されるべきか、というてんである。国家などからの上からの集権的な統治としてのガバメントではなく、地域住民、企業などの多様なアクターによる協治、つまり「ボトムアップ型の民主主義が重視されている」当地の在り方が、ガバナンスである。
本論の内容については著者自身が非常に的確にまとめておられるので、それを引用して紹介に替えたい。
「第Ⅰ部では、まず、開発途上国において、工業製品の原材料の採掘現場(第一章)、〈農〉が立ち行かなくなっている現場(第二章)で、人びとが陥っている苦境について概観したうえで、そのような事態が生じる背景として、大航海自体から続く帝国と植民地との関係がいまも影響しているのではないか、という視点から考察を進める。そして、こうした事態の出退要因となった植民地化が正当化された背後には、哲学・思想の負の影響があったのではないかという点も浮き彫りにする(第三章)。」最後に触れられている「哲学・思想の影響」とは啓蒙思想以来の「文明と野蛮」図式であり、自由主義や自由民主主義がはらむ問題性が与えた影響のことである。
「第Ⅱ部では、和食の根幹をなすのに海外からの輸入が八割を超えている大豆に焦点を当てて考察を進める。まず、ブラジルとモザンビークで進められた日本のODAによる大豆のための農地開発を概観し、その内実における正負の両側面を整理する(第四章)。そのうえで、モザンビークでの開発を中止に追い込んだ社会運動が農民の何を守ったのか考察し(第五章)、アントニオ・ネグリとマイケル・ハートのいう〈帝国〉の特徴をしめすものとして開発計画をとらえ、プロサバンナ計画に抗った人びとのありようが〈帝国〉の論理を変革する主体への示唆を与えているのではないか、言う視点から考察を進める(第六章)。」ここでの変革主体がどのようなものであるかについて、小農の組織である「ビア・カンペシーナ」(小農の道)が示唆している〈マルチチュード的コスモポリタン〉ではないか、と筆者は指摘している。2018年に国連総会で採択された「小農の権利」条約で、小農とは家族農業にとどまらず、「農林漁業関連の賃金労働者や、農村で工芸品を製作する人びと、先住民族のように自然と関わりながら狩猟・採取をして暮らす人びと」と定義されている、と筆者は述べる。
Ⅰ部とⅡ部での考察の理論的な方法は、ウォーラーステインの「世界システム」論であり、また、ハーヴェイの「略奪による資本主義」である。また、ネグリ=ハートの「マルチチュード」概念を批判的に再構成して用いている。筆者のいう「ラディカルな考察」とは、さまざまな具体的事象を貫く根源的なものを、彼らの概念を用いて批判的に剔抉していくものだといえよう。その意味では、現代の思想上をふまえた考察と言えるだろう。
「第Ⅲ部では、Ⅰ部、Ⅱ部での考察をふまえ、いよいよ維持可能なガバナンスについて考察する。この際、本書では〈地域コミュニティ〉での実践を基盤とした、ローカル→ナショナル→リージョナル→グローバルというボトムアップ型のガバナンスが重要になってくるという立場をとる。具体的な事例としては、日本の高度成長に欠かせなかった工業の原材料のひとつである木材の輸入に焦点を当て、そこでの構造的問題をふまえつつ、以下の流れで考察を進める。まず、日本に木材を収奪されたフィリピンのある村での実践が、〈地域コミュニティ〉におけるガバナンスに有益な示唆を与えているのではないかと提起する(第七章)。そして最後に、全体をまとめるかたちで、〈地域コミュニティ〉を基盤としたオルタナティブなガバナンスについての本書なりの考えを提示する(第八章)。」
新自由主義が世界中の大部分(99%)の人びとの暮らしを破壊し、貧困状態に落として入れている事態を改革する必要が、多くの論者によって叫ばれている。本書もその流れに掉さすものと思われるが、多くの議論がいわゆる北側=先進資本主義国での問題——金融資本の暴走、非正規労働者の増大、移民差別の問題など——を中心に論じているのに対して、本書は主に南側=「開発」途上国の小農を焦点に据えて議論しているところに特徴がある。そして、その特徴は新自由主義的資本主義経済の問題を気候変動に象徴される環境問題へリンクさせる機能を果たしている。
新自由主義に抗い、それを変革することの最大の目的は、何であろうか。私にとっては、それは著者のいう〈いのち〉が安心して暮らせる社会の実現である。〈いのち〉の安全保障の問題と言ってもいい。そのために必要なのは、これまでの生活のあり方=文明を根本的に見直す必要があると考えている。生活のあり方を支えているのは、生命維持に不可欠な食料を生産する農業であり、農業が抱えている問題を解決することは、現在の喫緊の課題である。利潤追求型の工業生産や「ブルシットジョブ」型のサービス産業中心の文明から、〈いのち〉の再生産を支える農業を中心とする地産地消型の文明への転換が必要だ、と筆者は考えている。本書はそのような問題を考える上で大きな示唆を与えてくれる。
最後に本書が残している問題について、簡単に触れておきたい。その問題とは「オルタナティブなガバナンス」の主体たるべき〈マルチチュード的コスモポリタン〉はいかにして成立しうるのか、という主体形成の問題である。特に日本においては、先の統一地方選挙が示しているように、政治的無関心が蔓延し、極右的なヘイトを普通の庶民がSNSで垂れ流している、という状況がある。そのような状況に抗っている人びともいるのではあるが、彼らがつながり大きな力をえているといいがたい。文明フォーラム@北多摩での研究会での発言などから、著者もこの問題が残されているということは、自覚していると思われる。著者をはじめとする研究者たちに丸投げするのではなく、この本を読んだいろいろな人たちとつながりながら、共に議論していければいいなと、思っている。
ぜひ、多くの人に読んでもらいたい好著である。皆さん、ご一読のほど、よろしくお願いします。
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